知らなかったのですが「塩の道」には、糸魚川~平岩間に「東回り」と「西回り」の道筋が有るのですねぇ。
どっちか言うと「東回り」の道の方が良く歩かれており、普通「塩の道」と言えば、だいたい「東回り」を指してる事が多いらしい。
まず最初にその「東回り」から歩き始める事にして、当日の到着予定である「根知駅」に車を止めて出発準備してると、駅からゾロゾロとチッコイ・ボーイスカウト達が出て来ました。
昔は緑色の制服だったような気がするが、今は明るい空色の制服で、「塩の道」を、ここから糸魚川方向へ歩く訓練をするのかな?と思ったが、どこか近くの公園で食事するらしく、配られた弁当を大事そうに抱えて、ゾロゾロ歩いて行きます。
汽車で出発地点の糸魚川駅へ行く予定でしたが、バスが少し待てば有る事がわかりバスで行きましたが、過疎地なためか乗客はだれもおらず、途中でやっと一人オババが乗っただけ・・こりゃあぁ赤字路線だわなぁ。
糸魚川駅前では、奈奴川姫が水晶玉を手に持って「見えてきましたぁ~・・あぁたぁの運命が・・あぁたぁは今日、10を円落として泣いてるでしょう・・」とか何とか言いながら、占いをしてるようなシグサで立っています。
たぶん観光客も、こんなキレイな奈奴川姫ネーチャンと記念に写真を撮りたいと思うが、写真を撮る時には、どうしても逆光になり、アーケードを歩いてる人に対して正面を向いてるが、この奈奴川姫像の位置を、もおチット考えてくれればなぁ・・もう立てちまったから、遅いけれど・・・。
糸魚川駅の待合室で、持ってきた握り飯を食べて昼食とし、少し休んで出発。
糸魚川市内を歩くと、すぐに「塩の道広場」という所で、牛さんが寝転がって休んでおり、駅を出発したばかりなので案内看板を読み、牛さんの頭を撫でてから出発。
持っている「本の地図(「塩の道千国街道」白馬小谷研究者発行:以後「地図」と書くのは、この本の地図です)」によると、北陸線の線路を渡ったところで「鉄砲町」の狭そうな住宅街の道を通り抜ける事になっています。
たぶんこの道だろおと思って行ったら、ホンマに狭い道になり、こりゃあぁ違うなぁ・・と思って近くの学校横を通りました。
で・・横道を見ると、いかにも旧道らしい道があったので行ったら、ますます狭い路地に入り込んじゃった。
四国でも遍路道は狭い路地の所が有ったから、昔の街道もこんなのだったかもしれんが、こんな狭い道では、牛さんも通りにくかったろおに・・・。
T字路で広そうな道の方向へ行くと、それが正解の道だったよおで、遠くに神社の鳥居が見え、やっと正しい「塩の道」へ入る事ができた。
道に迷うのは山の中よりも、実は町の中での方が多く、しかも四国と違って遍路札や何の標識も無いしぃ。
なだらかな坂道を歩いて中学校脇を通り、道端に大きい鳥居が有りますが神社の建物が付近には見えません。
鳥居の側に、永年の風雨に晒されて字が読みにくくなった「いわれ書き」と書いた案内看板があります。
無理して読んでみると、昔、水前神社というのが有ったらしいが、その他の事は、よぉ~わからんかった、スマン。
さらに歩くと道端に「原山地蔵堂」が有り、霊場巡りでは無いので写真を撮るだけで中を拝見しなかった。
美山公園で一休み・・日曜なのでチビッコ野球が有るらしく、あちこちでチーム毎のグループが休んだり応援したりしており、その子供達のために父兄も駆り出されているようで、タイヘンですなぁ。
昔、甥が少年野球チームに入っており、欠席するとそのポジションを他の子に取られちまい、だれかが欠席してポジションが空くのを待たなければアカンよおでした。
そのため家族そろって、どこかへ行楽に行こうと思っても、子供は野球のポジションを取られたくないので行かず、しかも日曜日はたいてい試合があるので、どこへも出かけられなかったようです。
何もプロになるわけでも無いのだから、もっと野球を楽しめるようにすれば良いのにぃ・・それとも少年野球の関係者達は、プロを目指しているのかな?
オマケに親も試合の都度、応援やら手伝いやらで参加しないとアカンような雰囲気らしかった。
幸いσ(*_*)とこの子供は、親孝行にも「野球をやりたい」と言わなくて助かったぁ。
美山公園にも、けっこう分かれ道が有り、地図を確認しながら行くと、大きなY字路で「塩の道古道」の案内立て札と「ポッカ像」が有りました。
ポッカ像は、これから進むべき方向を向いているが、どちらかというとY字路から来る人に尻を向けている形になる。
もおチット置く場所を考えればよかったのにぃ・・と再び像の置き方に、ブツブツとケチつけた・・・ゴメンね。
やや急坂になり始めたS字カーブをテクテク・・・
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