HOME > 紀行文「目次」 > 「塩の道」地図と目次 2 大野
H23.6.12 旅行 H23.7.6 UP
美山公園の「塩の道・東回り」歩道は、やがて林の中にキャンプ場らしいのが有り、蚊に悩まされるじゃろなぁ。
車道にぶつかる箇所に鉄塔が有り、そこに「塩の道古道」の立杭が有りますが、そのまま砂利道に変わった林道を行くのか、それとも車道へ出るのか、しばし地図を確認。
地図には「のぞき戸」と書いて有るが、そんな標識無いしぃ・・もおチット分かり易いように標識を設置してくれたら、ええんだが。
とりあえず、まっすぐそのまま砂利道の林道を歩くと、まもなく「のぞき戸」の立杭が有りました。
で・・「のぞき」と書いてあるもんだから、そこから何か景色の良い風景でも見れるのか、それとも若いキレイなネーチャンの姿がチラホラ見えるのか・・と期待しました。
しかし、単なる普通の杉林と、同行している数十年前は若かった越後屋が見えるだけで、特に感激の余り涙を流して見るような風景では無かった。
それでも、林の雑草の中に白百合が二輪咲いており、ここで立ち止まって見なかったら気が付かなかったろおなぁ。
杉林を行くと、やがて「牛清水」の標識が有りましたが、清水がどこに有るのかわからんかった。
坂道を上がって再び車道とぶつかった付近で、初めて展望が開けて姫川が望めました。
姫川の写真を撮ってる間に、越後屋がトットと車道を歩いて行きます・・いえね・・別にトットと先に行っても良いのですがね・・
実はこの箇所は地図に「スイッチバック注意」と、わざわざ注意書きして有る場所で、車道を少し戻って別の道を行くのが正解なのです。
ホンマは知らないフリして、そのまま越後屋を行方不明にさせてやろおかと思ったが、カワイソーだから呼び止めて道を教えてやりました。
この箇所は「国土地理院の地図」だけを頼りにしていては、ちとわからないと思う。
地図の本に書いてある通りに注意しないと、越後屋のようにそのまま車道を歩いてしまったと思い、本を買った意義はこれ一つだけでも十分に有った。
歩いてると道端に新しい道祖神が立っており、裏を見ると「塩の道の寅さん」と言う人が平成11年に「塩の道」を歩いた記念に設置したらしい。
しばらく歩いてると山側の道端に、黄色の花を付けた菖蒲の群生が有り、よっしやあぁぁ~・・この花の群生と越後屋が歩いてるのをセットで写真に撮ってやろう。
撮り終えてから何気なく菖蒲の中を見ると、山側の樋からチョロチョロと水が流れており、側にコップもあります。
ほほおぉぉ・・この水は飲めるのかと思い飲んでみると冷たく、地図を見ると「権現清水」らしかったが確信は有りまへん。
案内標識を探しましたが無く、この菖蒲の花を見なかったら気が付かなかったでしょう。
越後屋は花を愛でるヤツでは無いので、当然この清水には気付かずにトットと先を行っちまっており、もう呼び戻せないほど遠くまで行ったので黙っていました。
やがて墓地が有る付近で細い道へ入る所に、草が茂っているため目立たない「塩の道」標識が有り、もっと草が大きくなったら標識が埋もれて見つけれないでぇ。
もっとも、すぐ近くで一緒になったから、どおしても通らないなければアカンと言う分かれ道でもないんだけれどね。
細道を行くとすぐに墓が有り、そこに「馬頭観音」の標識が有りましたが、地図には「下村石造群」と記載してある所でしょう。
「大野」集落内を歩いて、道端の土管に座って一休み。
踏切を越えて大野小学校脇を通ると、一人の男の子が花壇に水やりをしており、きっと当番に当たっちまったので、仕方なくやってるのでしょう。
学校近くのT字路を曲がると「十王堂」が建っており、中にはσ(*_*)の大好きな着物を剥ぎ取るオババも居ました。
小屋の天井が一部破れてたので屋根裏が見え、丸木を縄で縛ってあり、釘を使ってないよおです。
大野神社を通り過ぎた所で、ふと民家の小屋を見ると、板を型抜きしたのが波板を透かして見えます。
なかなか良いてすねぇ、芸術家なんだろか? それとも趣味で作ってるのでしょうか?、σ(*_*)もヒマだったら挑戦してみようかな。
すぐ近くの家の表札を見ると「キッチンママ潤欄」と、これまた型抜きしている家が有り、これもなかなか良いと思う。
この付近では、このような板の型抜きが流行してるのでしょうか、勝手に黙って写真を撮ちゃって、ゴメンね。
昔の石の道標が有り、ちゃんと説明書きも有ります。
それによると「左志ん志やう(信州) 右井の口村八(井口村へ行くのではなく、用水の取り入れ口の事らしい)」と書いてありました。
山に咲いてる百合を見ながらテクテク・・・
道端の「百番供養塔」を横目で見て、テクテク・・
分かれ道に新しい四角の「道標」が有り、「塩の道 市道」と彫ってあります。
うん・・こおいう風に設置してくれると、ありがたいんですよねぇ、「市道」というのが、いかにも現在風で、これを考えた人はエライ!!。
少し行くと道端の草に埋もれかかって「茶屋跡」の石碑がありました。
Y字路の所で小屋があると思ったら、それが休憩所でトイレも有り、壁に「賑わった新舟・小坂道」というパネルが飾ってあります。
街道筋集落の明治時代に有った家と、現在残っている家の配置を示した図が有り、これを見ると明治時代から、かなり家が無くなってます。
今は、そんな様子も有りませんが、この付近にはけっこう飲食業とか旅籠が有り、この休息所の場所も昔は飲食業をやっていたようです。
休憩所の中には炉端の形が地面に作ってあり、灰の代わりに白石が敷いてあったが、雰囲気は出てます。
ただ季節柄・・蚊が多くて・・・
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