熊倉宿場街と会津33観音霊場の巡礼札/7番・熊倉観音
熊倉宿
遠くに磐梯山?頂上に雲に掛かっているのが見え、その方向へ「ヒーコラ・・」言いながら自転車を漕いで行きます。
やがて「熊倉」集落に入ると、道端に「熊倉宿」と書いた旧宿場街の見取り図の看板が有りました。
ここが宿場街とは知らなかったのですが、改めて町並みを眺めてみると、街の通りが何となく宿場街っぽい感じがします。
看板の見取り図には屋号も書いてあり、なかなかええでんなぁ・・この道は、旧米沢街道らしいです。
その旧「熊倉宿場街」を少し行くと、いかにもその時代にマッチしたような古いというか・・壊れかかって、もう人が住んでない・・と言った方がよいのか・・という家が有ったので記念に写真を撮りました。
そしたら、その古い家の横に通路が有り、そこが会津33観音霊場の7番札所「熊倉観音」がある「光明寺」へ行く通路でした。
偶然とは言え、この古い家に気に留めなかったら、錆びたチッコイ光明寺の看板を見逃してたかもしれなす
個人的希望としては、その古い壊れそうな家を、もう少し見栄え良く直して、そんなのがズラアァァァァ~~ッッッと、建ち並んでる方が宿場街の情緒が有ってええと思うんだが・・
巡礼札
光明寺の境内に「熊倉観音堂」が有り、お堂の腰板付近には巡礼者の名前を書いた紙がベタベタ貼ってあります。
会津33観音霊場の巡礼札は、参拝者がグループ毎に一枚の紙に名前を書き連ねて、それをベタッと堂に貼るのが風習のよおです。
四国のように「納札」を箱に入れるというのでは無く、古くからの霊場巡りにおける「札を打つ」という風習の変化でしょう。
せっかく堂の腰板付近に巡礼札を貼り付けるようになっているので、これから会津33観音霊場を巡礼しようと思ってる方は、半紙に名前書いて貼り付けた方が良いよおでっせぇ。
サラ~ッとその巡礼札を眺めると、やっぱし会津33観音霊場の巡礼は、オバハン達が多いよおです。
年齢は書いてなかったが、若いネーチャン達がケータイ片手に巡礼札の紙を貼り付けるとは、とても思えん。
ネットで事前調査した所によると、この会津霊場は江戸時代に婦女子が巡礼したようで、そのためか、オトッツアンのような男の名前は、あんまり見かけなかった。
境内に大きい鬼瓦が飾って「三つ葉葵」の紋が付いており、本堂入口のガラス戸にも同じ紋が描いてありました。
きっと徳川家御用達か、何かの縁が有ったのでしょう。