熱中症で倒れながら関山観音へ/会津33観音霊場
熱中症
暑い日中、「関山」集落に向けて自転車を漕いでると、「氷玉」付近で前を走っていた越後屋が止まったかと思ったら、自転車から降りて倒しちまい、そして何が悲しいのか・・ヨヨヨョョ・・と道端に泣き伏しました。
あっ・・ゴラア゛ァ~・・みっともねぇ・・そんな所で泣くな!!・・他の人が見たら、何が有ったんじゃ?・・と思うじゃねぇか、早く立て。
と思いましたが、そこは思うだけであって、側に寄って口先だけですが、可能な限り優しく心配そうに「だいじょうぶ?」と言ってやりました。
この一言を言っておくのと、言わなかったのとでは、後々の状況が、かなり差が出て来ますからなぁ・・オトロシイ事に・・・。
ちょうど2時頃で、暑い盛りだから熱中症なのでしょう。
ボオッ~と座っている越後屋を見て、しょうがなくσ(*_*)の自転車を立て、次に越後屋の自転車もヨッコラショ・・と立ててから、越後屋を道端の日陰へズルズルと引きづって行きました。
お姫様ダッコなんかして運ぶ気も無く、ましてやσ(*_*)より重いので、そんな事をしたら腰を痛めるかもしれまへんからなぁ。
知らん人がこの光景を見たら、死体を運んで隠そうとしていると思うかもしれん。
やっと息を吹き返した越後屋に「この日陰で待っておれ」と言ったのですが、何を血迷ったのか、越後屋は無理してでも何が有ろうとも、どうしてもこうしても付いて来るとガンコに言い張ります。
なんちゅう強情なヤツじゃ・・また熱中症で倒れたらどうするんじゃ・・ここで大人しく死んだフリしとれば、ええのにぃ。
ここら辺が越後屋の考えがよぉ~わからん所で、よっぽどσ(*_*)だけが関山観音堂へ行けて、自分だけが行けないのが腹立たしいのでしょうなぁ、欲深いヤツめ。
関山観音
昔、「関山」は宿場街で戊辰戦争の時に大部分が焼かれたらしいが、そお言われれば、何となく宿場街のような街並みになっとります。
「関山」集落の入口付近に、会津三十三観音霊場24番札所「関山観音堂」への案内看板が有り、民家の横道のような所を通って階段を上ります。
前の高倉観音堂のように、想像も付かないような階段数ではなかったが・・・
しかし、この入口の看板が無かったら、わからんかったじゃろおなぁ。
こじんまりとした関山観音堂でしたが、静かな村のお堂という感じで情緒は有りました。
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恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
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