安房天津駅前のバス停から、朝7時52分発のバスに乗り清澄山へ行きました。
バス代が200円と安かったのは、コミニュテイバスだからだと思い、乗客は清澄寺まで、だれも乗っておらず貸し切り状態・・・赤字だろなぁ。
清澄寺バス停付近より、まずは「極真空手発生の地」碑がある所へ。
そおですがなぁ・・・団塊世代の今ではジサマになってる人達が、一度は目にしたと思うあの「空手バカ一代」のマンガで有名な、大山倍達がここで有名な山籠もり修行した地なんですがなぁ。
σ(*_*)も美青年の頃、九州・福岡で空手をやってたので、「山籠もり修行」していた場所に、もんのすごく興味がありました。
あの頃、「極真会」の人達が道場へ練習を見学に来た事が有り、その日の自由組手は対抗意識からか、いつもよりキツかった。
と思い出しつつ・・・駐車場から山道を上がり、それほど遠く無い所に、休憩所と一緒に「極真空手発祥の地」記念碑が有りました。
しかし、来てみると直ぐにこの場所では「山籠もり修行」にならんなぁ・・と思った、なんせ清澄寺の屋根が、すぐ近くに見えるんだもん。
わざわざ俗世間と縁切り状態にして「山籠もり修行」するならば、何も有名寺へ信者が押し掛けて来る?ような場所付近を選ばないと思うが・・・
記念碑つうもんは、その痕跡・・また「発祥の地」ならば、実際に山籠もりしていた洞窟とか、住んでいた小屋跡付近の場所に立てるもんだと思う。
わけても「極真空手・発祥の地」と題するならば、なおさら事実に即した一番重要な場所に建てるべきではないじゃろか。
この原稿を書いてる時に、やっぱり、どうしてもこうしても「山籠もり修行」していた、具体的な場所を知りたくてネットで調べてみました。
そしたら「酒たまねぎや」(リンク切れでした)というホームページに、「大山倍達正伝」という本を引用した記事が載っており、記載内容の文言は、ちとキツイですが一番分かり易いかった。
で・・・結論から言えば「山籠もり伝説」は大ウソでした。どおじゃ、まいったか・・・(^O^)ナハハハハ・・・
はい・・しかも当時から今まで「スゲエなぁ~・・」と思い信じ込んでいた「空手バカ一代」の記載内容、全てほとんどがウソ。
おいおい、トッツアン・・・どおしてくれるんじゃ、人を疑う事もしなかった純情可憐なる旧美青年の心を、もて遊びやがって・・・・・
まぁ・・マンガの世界を信じるなんて・・と言われるかもしれまへんが、大山倍達が著作した本にも、マンガと似たような事が書いてあり、根が単純でお人好しなもんだから、すっかり今まで信じ込んじゃってました。
たぶん、σ(*_*)みたいに、あのマンガ内容を今も信じてる団塊世代の人が多いと思う。
もっとも、それはそれとして大山倍達は、この人なりに日本の空手に大きな影響を与え、ホンマに強い人だったと思います。
「安房国札34観音霊場」の17番「清澄寺」は、朝早いためか参拝客がほとんど居ません。
「清澄寺」境内には、今をときめくS学会の犬作先生が、ウソこいて笑われた逸話の有る「千年杉」がデェ~ンと立ってます。
はっ?・・、その逸話の内容ですか?・・犬作先生様が、ここに来られて千年杉を撫でながら「久しぶりだねぇ。700年ぶりだねぇ(日蓮の生まれ代わりだという印象付けるため)」と言ったらしいが、この杉の樹齢は250年位だそうな・・・皆様、お楽しみ笑って頂けたでしょうか。
「清澄寺」境内に観音堂が有ったが、果たしてこれが札所の観音堂なのか?と、ちと疑問に思い、気のせいか、あんまり札所・・という気がしない。
ネットで調べた時や、地図では旧道というか参道の山道に観音堂があったのです。
正直言ってσ(*_*)は個人的にも日蓮宗は、あんまり好きではないが、「清澄寺」本堂で「手向」を吹いて参拝し、好き嫌いではなく、これはこれ、あれはあれだから・・・
境内のどこかに有るらしい、日蓮さんの像を見ても面白くないので、早々に「清澄寺」を引き上げる事にしました。
境内に尼さんが居たので、旧道の下りる道を聞いたが知らないようで、バスの運転手に聞いた時も知らなく、皆口をそろえて「車道を歩いて下りる」と言います。
山門前の土産屋で、ジサマがボォッ~として道端に座っており、やっぱりダメかもしれん・・と思いながらも旧道の下りる道を聞きました。
そしたら、さすが門前で商売しているだけあって旧道を知っており、耳が遠かったので聞き出すのに苦労したが・・・。
バス駐車場付近に下りる階段が有り、もしかしたらここでは・・とバスを降りた時から目を付けていた所が、やはり旧道への下り口でした。
階段を降りると、それらしい宿というか何というか・・そんな風な家が2件ほど続いて建っており、たぶん車道が出来るまでは繁盛した宿だったと思う。
舗装道路を少し行くと、小高い所に小さい赤い建物があり、チラッと見た時には、大した堂でも無いだろおと思ったのですが、階段入口の白杭には「札所・奥の院」と書いてあります。
するってぇとぉ・・・、清澄寺の境内にあった観音堂も一応札所だったのかな?・・あそこには「札所」とは書いてなかったような気がするが・・・。
階段を上がってみると、「奥の院」は周囲ブロックの全てが赤色で塗られており、鉄の扉が閉まってたので開けてみると、簡単な祭壇に石仏が一体置いてあります。
あんまり人が来ないよおで・・そうだわなぁ、来ないわなぁ・・なんせ旧道の存在さえも、知られてないのだから・・・・それても、だれかが掃除しに来るよおで、「奥の院」堂内はキレイにしてあります。
しかし、ここが「安房国札34観音霊場、17番 清澄寺」のホントの札所だと思う。
「安房国札34観音霊場」を巡ってる人で、何人この「奥の院」の存在を知ってる人が居るじゃろか?・・ほとんど知られる事も無く、たぶん清澄寺境内の観音堂が札所だと思ってるじゃろなぁ。
σ(*_*)はネットでこの「奥の院」が有るらしいのは知ってましたが場所はわからず、また旧道の出入り口も知らず、ちなみにネット検索しても、この「奥の院」を紹介しているブログは2件しか見つけれませんでした。
「本調」を吹いて参拝し、納札と五円玉を置いておきました。
道を下ると人家が有り、失礼ながらこんな所に、よく人が住んでると思う。
やがて車道に出て写真を撮ってると、下から若いアベックが上がって来ました。
話してみると、これから清澄寺へ行くと言うので、今通って来たショートカットの旧道を知ってるか?と聞くと知らないというので教えてあげましたが、やっぱり登山者にも知られていないんだなぁ。
麓から、ここまで1時間ほどかかったそうです。
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