先に行ってた越後屋が、雨宿りしながら歩道橋の下に自転車を入れて待っており、そこで雨合羽を着て、とりあえず近くにある道の駅「鴨川オーシャンパーク」まで行く事にした。
11時頃でしたが朝が早かったので腹が減り、レストランのメニューを見ると失礼ながら、あんまり大した物がない。
土産店で「焼きオニギリ」と「コロッケ」が売ってたので、それを買いレストラン前の休憩場テーブルで食べました。
雨が上がったので出発して和田町から旧道へ入り、慣れて来たせいか最近それっぽい旧道を見つけれるようになった。
坂道を押し歩きながら登り「真浦」のトンネルを越え・・・やがて堂らしい赤い屋根が見えて来ました。
安房国札34観音霊場の19番札所「普門寺」境内に入ると堂が2つ有り、どれが観音堂なのかわからん。
とりあえず正面が本堂らしく、そこへ行ったが観音さんは居ないようなので、もう一つの堂へ行ってみました。
堂には祖師堂の額が有り、まさかこの中ではないだろなあ・・・と思いながら入ると、千社札がけっこう貼ってあります。
「おまん」さんが使った駕籠の片割れも飾ってあり・・えっ?・・「おまん」さんって、だれなの?・・どこか、そこらに居る小汚い近所のバァサンじゃねぇだろなぁ・・そんなのだったら、泣くぞぉ。
はい、何度も言うように、オッチャンは、なんせ学校で勉強もせず遊んでばかりいたもんで知らず、ネットで調べてみると、徳川家康の側妾さんだったらしく、この寺で幼児期を過ごしたそうな。
柱には手書きのポスターのような大きな納札が貼ってあるので、ここに観音さんが居る札所かな?
その納札を見れば531観音巡拝(安房も含む)したらしく、「北海道」「津軽」「最上」「会津」「越後」「佐渡」「信濃」「北陸」「板東」「秩父」「伊豆」「西国」「出雲」「中国」「読めない・・」と巡った観音霊場が書いてあり、σ(*_*)も巡った所が数カ所有ります(茶色太字)。
それはそれとして、でもなぁ・・・祖師堂と言ったら日連さんを奉ってる所でしょう?。
「ただひたすら、ナンミョウホウレンゲェキョウを唱え・・」と言ってる人の側で、そんな題目も唱えずに観音さんの方を頼っちゃって慈悲を願うのは、ちと場違いのような気がする。
わけても自分の日蓮宗だけが絶対に正しくて、他宗をボロクソにけなす人だから、スジから言っても一緒に置かないじゃろなぁ。
ちなみに、日蓮宗がここまでガンコで排他的だとσ(*_*)が思うのは、親戚にS学会の人が居て、絶対に他の寺とか神社には行かなく、また宗教感に対しても、これまた絶対に妥協しないのを知ってるからです。(^O^)
そんな事を思ったので、再び本堂へ・・本堂内を見たが、やっぱり観音さんが居る様子は無い。
寺を間違えたのか?・・いや、確かに日蓮宗の寺だったはずだが・・そお言えば、「安房国札34観音」では寺名が「普門寺」となってたが、ここは「正文寺」だったなぁ。
地図を見ても、この付近に他の寺は無いしぃ・・もうどうでもいいや、尺八も忘れてきた事だしい・・・信心なんか無いのだからと、本堂に納札を置きました。
後で調べてわかったのですが、観音さんは祖師堂内で日蓮さんと仲良く飾ってあるらしく、「普門寺」は無くなっちまい「正文寺」で観音さんを預かってるそうです。
この安房国札34観音霊場は、納札を入れるとか貼るとか・・・、そおいう風習その物が全く無く、たまに個人的に1枚程度貼ってありました。
おまけに、この寺のように観音さんが置いてある場所を、ハッキリ示してない霊場も初めてでした。
他霊場では、たいてい統一された札所標識が道端に設置されており、あんまり有名で無い「下北半島」の霊場でさえも、道端に観音霊場の看板と幟が有ったのに、「安房国札34観音霊場」として統一された標識等は全く無かった。
惜しいですなぁ・・・これじゃぁ「安房国札34観音霊場」巡りの参拝者は増えないかもしれまへんでぇ。
19番札所「普門持」にて「安房国札34観音霊場」は「結願」して終わりますが、千葉県付近の観光をしたので続いてその様子を掲載します。
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