HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 64 宇津峠-2
旅行日 2015.9.14 掲載日 2016.5.6
十三峠の一つ「宇津峠」より、しばらく歩くと「はだか杉」の看板が有り、たぶん林の中に一本だけ有る大きな木らしい。
先を歩いてた越後屋が「おでぇかんさまの大好きなキノコが有る」と言って待ってます。
どれどれ・・と見れば「ウラベニホテイシメジ」の、ちょうど採り具合が良よさそうなのが4・5本出ていました。
「どうする?」と聞くので、どうしょうかなぁ・・キノコ用の籠なんて持って来ていないし、スーバーのナイロン袋に入れると、キノコが崩れてしまうのだが・・。
それでも採って帰れば、オカズの一品程度になるなぁ・・と思い、ナイロン袋に入れて採りました。
そしたら、あぁたぁ・・その先々にもキノコが生えてるでねぇか。(^O^)、 はい、そりゃあぁ~・・・もちろん越後屋と、セッセッとキノコを採りましたがなぁ。
ナイロン袋一杯ほどになり喜んで道を下ってると、こんどは「サクラシメジ」」の群生が見つかり、ナイロン袋をもう一枚出して、セッセッと採りました。
「サクラシメジ」を採るのは、佐渡に居た時以来です。
それからも宇津峠・下り道に所々生えており「キャッ・キャッ・・!(^^)!」と喜びながらナイロン袋3袋ほど採れ、こんなにキノコが採れたのは久しぶりなので、越後屋がシッポ振って大喜びしています。
数多くの石段をのぼったり下ったりして高い宇津峠を越えたが、これが交通をふさいでいる一大山系の数多くの峠の最後のものであった。
私は、うれしい日光を浴びている山頂から、米沢の貴高い平野を見下ろすことができて嬉しかった。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
キノコを採りながら宇津峠の九十九折り山道を下っていると、途中に「イザベラ・バード」の顔写真看板があり、たぶんその付近でイザベラ・バードが下界を見て「素晴らしい」と誉めた所だと思う。
草が刈ってあり確かに見晴らしが良く、宇津峠から下り始めて、ここで初めて米沢平野が展望できました。
途中に「良寛漢詩 米沢道中」の杭と、漢詩を書いた風景写真が有り、へえぇぇ・・・こんな所まで良寛さんが来たの?、これを書いてる時に調べると、60才の頃に通ったらしく、知らんかったなぁ。
その近くに錆びた雪崩防止柵が有り、昭和4年に郵便配達の人が雪崩に巻き込まれて亡くなったという看板もあり、そりゃあぁ・・雪崩防止柵も必用でしょう。
やがて広い車が通れるほどの道に出て、この道も大きく九十九折りになっており、「宇津峠の石積み」の説明看板が出てます。
明治に作った旧国道の山側に石を積んだらしいが、今は草が茂っていて石積があんまり良く見えなかった。
どおしても見たいというほど珍しい物でも無かったので、草を掻き分けてまでは見なかったが・・途中に明治時代の九十九折りの写真が有り、これを見ると、その様子がよぉ~わかります。
車が一台止まっており、ジサマが付近の笹を採っていたので挨拶して通り過ぎ、道を曲がった所に「切腹松」の説明看板と枯れて倒れた木の根が有ります。
説明看板によると、「藩主の名刀「村正」を盗んだ家臣が逃げたが、宇津峠の所で見つかってしまいこの松の木の下で切腹したので、木の下に埋めたらしい。
ちなみにこの名刀は、弓のように曲げても元に戻ったそうで、刀を曲げてみると、やっぱり戻った。」と書いてあり、σ(*_*)はこのようなホンマかと疑って試して見る人が好きだなぁ。(^O^)
まだ説明書きを読んでない越後屋に「おい、この根本に死骸が埋まってるぞ」と教えてやったら、先程のジサマが、すぐ近くまで笹の中を採りに来ており聞こえたらしく笑っていた。
やがて明治旧国道との分かれ道があり、旧道を行くと麓近くなので、そんなに勾配は有りませんでした。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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