HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編)> 65 手ノ子
旅行日 2015.9.14 掲載日 2016.5.9
宇津峠を下りてくると、やがて「落合地蔵尊」があり、そこの境内で一休みしながらキノコをリュックに入れ替えました。
けっこうドッサリと採れており、二人のリュックに分けましたが、キノコの形が崩れるので、あんまり詰め込めなく、スーバーの袋一つ分だけは手に持ちました。
きっとイザベラ・バードも宇津峠を越えて、やれやれと「落合地蔵尊」で一休みした事でしょう。
もっとも、当時はこの地蔵尊の近くに茶屋が有ったらしいので、そこで休んだかもしれない。
国道133号線を少し行くと「越後街道」の看板が有り旧道を行き、国道と違って、ほとんど車が通らず、犬にも吠えられず、ノドカな道が続きます。
いかにも枝振りの良い「街道の松」と思うような松が一本だけ生えており、後で調べると「落合の二本松」だそうで、一本は道路とか鉄道のために無くなったらしく、イザベラ・バードも見たことでしょう。
途中より米坂線の線路と並行して、「手ノ子」まで道が続いてます。
「手ノ子」踏切を越えると、国道133号線とぶつかります。
たぶん国道は新しく出来たので、旧道は別に有るじゃろなぁ・・と思いながら国道まで来てみると、付近に狭い道が有ります。
たぶんこれが旧道だろうと思い通ってみると、「手ノ子」集落へ入る橋の所へ出ました。
午後に手ノ子という村に着いた。 そこではいつものように、私は駅舎の縁側に腰を下ろし、一頭の馬が手に入るまで待っていた。
家の女たちは、私が暑くて困っているのを見て、うやうやしく団扇をもってきて、まる一時間も私をあおいでくれた。
料金をたずねると、少しもいらないと言い、どうしても受け取らなかった。
彼らはいままで外国人を見たこともなく、少しでも取るようなことかあったら恥ずべきことだと言った。 私の「尊名」を帳面に記してもらったのだからという。
そればかりではない、彼らはお菓子を一包み包んでよこし、その男は彼の名を扇子に書いて、どうぞ受け取ってくれと言ってきかない。
私はイギリスの針(ピン)を少し彼らに与えるほか何もしてやれないのを悲しんだ。
私は、日本を思い出す限り彼らのことを忘れることはないだろう、と心から彼らに告げてここを出発したが、彼らの親切には心をひどく打たれるものがあった。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
イザベラ・バードが親切を受けた「手ノ子」は、どおいう所なのか・・と思って期待して来ました。
「手ノ子」集落は、そんなに大きくありませんが、それでも古い大きな旧家と思われる家があり、石碑も建っていましたが、字が崩され過ぎて何が書いてあるのか、よぉ~わからんかったが・・・だれか知っていたら教えてね。
イザベラ・バードが休んだ駅舎は、どこなのかわからなく、できれば看板の一つでも有れば良いと思う。
なお越後屋と一緒に歩いたのは、この「手ノ子」までです。
これより先の「十三峠」のうち最後の「諏訪峠」は、月日を変えてミニバイク「チョイノリ」で越え青森まで一人で行きました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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