新潟県から富山まで往復約300km・・「越中一国観音霊場」巡りで約200km・・総行程約500km程度と思い、軽い気持ちでミニバイク「チョイノリ」で霊場巡りをやりました。
ところが霊場巡りをして家へ戻るまでの実際の総走行距離は、920kmでもうすぐ1000km近くでした。
「チョイノリ」の特徴は
◎ 2リットルと少なく、満タンにして約100kmほど走ります。
◎ なもんで、距離メータが100km手前の70~80kmほど走る毎に給油しましたが、こおいう点が長距離走行には不向きなバイクですねぇ。
◎ 「チョイノリ」は最高にガンバッても時速45kmほどしか出ない。
◎ 坂道ではσ(*_*)と同じコンジョナシなもんだから、除々に速度が落ちて20kmになっちまう。(坂の傾斜にもよるが)
◎ 雨上がりの時に、何故か35kmほどしか速度が出なく、晴れた日は45km出たのにぃ。
この10kmの速度差は大きかったなぁ・・精神的にもイライラするほど・・・ネツトでも雨の時は速度が落ちた・・というような事が書いてあったように思う。
◎ 「チョイノリ」は500km毎にオイル交換する事になっており、出発前にオイル交換して、走行距離500kmを越えても、そのまま走り続けてました。
家へ帰ってからオイル交換すると、真っ黒なオイルが出たのは、わかりますが、出て来たオイル量が半分ほどで、大部少なくなったような気がする。
たぶんこのまま走り続けていたら、エンジンの焼き付けを起こしていたかもしれず、こおいう点でも、長距離には向かないバイクだと思う。
それはそれとして・・この霊場巡りは野宿するので、後部荷台に黒色プラホックスを取り付けました。
透明だと中身が見えて、ガラパンが見えると恥ずかしいので・・(^O^)
参考:σ(*_*)のブログ関係 「チョイノリ」購入 「チョイノリ」改造
ちなみに「チョイノリ」は、「イザベラバードの道」を関東より青森まで(やっぱり野宿しながら)走ったのを最後に引退させました。
その時点では走行距離1万kmを少し越えていたので、十分に元は取ったと思い、ガンバって乗ろうと思えば、まだ乗れたのですが、なんせ速度・馬力がねぇ・・
8月15日はお盆ですが、翌日、高校の同級会が富山県氷見市で有るので、それに間に合うように午後3時頃出発し、一路富山方面へ「チョイノリ」を走らせました。
遅い出発だったので、その日のうちに「親不知」の難所を越えれたら・・と思っており、なんとか無事に通り過ぎて、野宿候補地にしていた県境の「宮崎海岸」に到着。
ちなみに朝日町・宮崎海岸は、水島真一さんが北朝鮮に拉致されたと言われてる現場で、σ(*_*)と同じ年齢の人です。
水島さんの失踪当時の状況
1968年2月9日、高校3年の学期末試験最終日、自宅から歩いて5分の海岸にバットの素振りをしてくると出かけたまま失踪、高校卒業後の就職も決まっていた。
夕方5時を過ぎても戻らないので、父と姉が海岸に行ってみると、波打ち際にバットが転がっていた。
その日は海はベタ凪で、水島さんは遠泳の名手であり溺れた可能性はない。
最初は「越中宮崎駅」で野宿しようかと思ったが、近くにキャンプ場も有り、どうも人の出入りが多い感じがします。
宮崎海岸へ行くと、夏休みなので駐車場は料金を取るようなのでヤンピして、漁港等をグルッと周って野宿候補地を探すと、公民館施設の軒下が良さそう。
よっしゃあぁ・・・野宿地の目処が付いたので、近くの「さざ波温泉」に行きました。
この朝日海岸は別名「ヒスイ海岸」とも呼ばれており、「さざ波温泉」には売り物なのか飾ってあるのか、漬物石のような原石が置いて有ります。
σ(*_*)も以前、この朝日海岸で、このような石を拾って庭に敷いた事が有りますが、よぉ~似た石だなぁ・・あれも「ヒスイ」だったんじゃろか?。
「さざ波温泉」で一風呂浴び、近所の食堂で飯を食って野宿地へ戻った頃には真っ暗で、公民館の街灯が、サミシソウに点いております。
野宿地の公民館軒下に網が掛かっていたので、風呂で濡れたタオル等を干しておきました。
野宿旅行する時は、濡れた物は可能な限り早く乾かす事が大原則ですからなぁ。
灯りの無い建物陰の所だったので、ここで野宿しているのは、その気になって見ないとわからず、ベンチ下のコンクリ床に銀マット敷いて寝ました。(一番上の写真)
人が来なく静かですが、夏なのに浜風が有ってむしろ寒かった。
寝ていると突然に、夜9時のチャイムと、オマケの放送が大音量で有り、な・・何が始まったんじゃと思いビックリこいたでぇ、付近に住んでる人達は、ヤカマシクないのじゃろおか。
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