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巡礼日 2013.8.16 掲載日 2014.2.22
5時半頃に野宿していた朝日町を出発すると、国道の交通量は少なく、なによりも朝は涼しくて正解でした。
道の駅「カモンパーク新湊」に寄り、「越中一国観音霊場」巡礼中に、ここで野宿するかもしれんので偵察すると、アンチャン二人が野宿道具を片付けています。
話をすると自転車旅行をしており、行程を聞くと日本海側を北上し「名立」付近で野宿予定らしいので、道の駅「海てらす」を教えてやりました。
場所を調べているのを見ていると、時代の流れなのか地図本を持たず、携帯の地図画面で場所を確認するのですねぇ。
最新情報を知るには、それでも良いかもしれんが、大ざっぱな地理・距離を素早く確認するには、やっぱり地図本が必要だと思う。
なかなか「名立」の場所がわからんようだったので、σ(*_*)の地図本を開いて説明し、ついでに自転車・徒歩旅行者にとっては難所の「親不知」状況も教えときました。
なんせ徒歩で「越後三十三観音」霊場巡りをした時に、「親不知」から巡り始めたのですが、車がすぐ側を走り抜けオトロシかったもんなぁ。
新湊市内に入り、「越中一国観音霊場」20番札所「大楽寺」の場所を二人の人に聞きました。
で・・大楽寺は有りましたが、山門を入ると本堂が白壁土蔵のような建物で、しかも、あぁたぁ・・その入口には古道具が、ゴッテリ置いてあります。
こりゃあぁ・・間違って古道具屋へ来たようだと思い、近くに寺の屋根が見えたので、その寺まで行って確かめましたが、やっぱり寺名が違ってます。
再び古道具屋と思われる建物まで戻ると、ちょうど車から尼さんが降りて来たので確認してみると、やっぱりこれが札所の「大楽寺」本堂でした。
しかし、σ(*_*)のように知らん人が見たら、骨董品を置いてる倉庫と間違うじゃろなぁ。
当然、本堂の扉は開きませんでした。(^O^)
改めて、入口階段に置いてある古道具を拝見すると、カエルさんが大きな皿?を持ち上げているのが両脇に有り、おぉぉ・・珍しいなぁ、初めてこんなの見たでぇ・・何に使用されたんじゃろか?
改めて境内を見渡すと、初めて寺らしく鐘楼が有ったのに気付きましたが、鐘楼の中にも、何かわからん古道具が置いてあったので、最初に来た時は鐘楼と気付かなかったのです。
ううむうぅぅぅ・・・この寺の人は骨董品を集めるのが趣味なのかもしれず、それが悪いとは言わんし、それはそれで、失われて行く物を大切に保存するので良い事だと思う。
しかし、それならばそれとして別の場所に一箇所に集めて展示し、寺は寺としての本来の役割が有るはずだから、その形態を整えるべきではないじゃろか。
入口階段・鐘楼内部に古道具を置いて有るのを見て、信心の足りんσ(*_*)のような人間が、果たして心が洗われて、仏心が芽生えるじゃろうか?。
失礼ながら、寺としての本来の役割よりも、骨董品収集に重点を置いてるとしか思えない。
入口の看板に「寺のオンリーワン」の説明が記載されていたが、そのような立派で由緒を持つ貴重な「オンリーワン」が有るならば、なおの事このような状態は、いかがなものか・・渋茶でもすすりながら、その辺の話しを3時間ほどしてみたい。
大楽寺を出て近くの新湊運河に行ってみると、橋に白いモニュメントが有り、最初はこれが何を表しているのか、わかりまへんでした。
たぶん、σ(*_*)の無学な知識では、わからんような芸術品なのだろおなぁ・・と思って周りを見回すと、よぉ~似た白いモニメントが他にも有ります。
その内の一つに「合掌」しているのが有り、初めてこのモニュメント達は「手」を表してるのだとわかりましたが、この写真を見てわかりますか?。(^_-)
ついでに「海王丸パーク」へ寄り、実は20年ほど前に仕事でこの付近を縄張りにしていましたが、いやあぁ~・・すっかり様子が変わっちまったので道を間違えちゃった。
あの頃の「海王丸パーク」は造成中で、海に掛かってる橋も有りまへんでしたが、今は立派になってます。
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