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巡礼日 2013.8.17 掲載日 2014.2.25
氷見での同級会が終わった翌朝、乗って来た「チョイノリ」を見て「こんなチッコイバイクで、よぉ~来たなぁ~・・」と皆に笑われ見送られながら出発しました。
海岸沿いを走るつもりが「島尾」付近で集落内に入り込んで道を間違えちゃい、ヤマカンで海方向へ行き、よおやく雨晴海岸に出ました。
「雨晴」という地名は、義経主従が奥州へ落ちて行く時に、雨が降って来たので、この海岸の岩屋で雨が晴れるのを待ったという伝説があり、写真の松が生えてる岩場に、その証拠のチッコイ岩穴が有ります。
σ(*_*)が鼻水垂らしてた小汚いガキの頃、この雨晴海岸まで汽車に乗って海水浴に来た事が有り、当時は広い砂浜でしたが、今は見る影もなく浸食されて、ほとんど砂浜が有りまへん。
ちなみにこの高岡・伏木付近は、万葉集編纂の大友家持が国守として赴任した所で、詠んだ歌も多いらしい。
平成になった頃、σ(*_*)も当時この付近に勤務しており、大友家持の縁で「越中万葉夢幻譚」という高岡市主催のイベントが発足し、飲み屋のネーチャンが「私も出るんだ」と言ってました。
万葉集の一首を詠むイベントらしかったが、単に詠むのではアカンらしく、変わった節とか何とかを付けて詠まねばアカンらしい。
σ(*_*)は学が無いので、万葉集にあんまり・・いや、全く興味が無かったので見に行きもしなかったが・・・
「越中一国観音霊場」の伏木にある6番札所「国分寺」跡に着くと、敷地周囲には垣根と石仏が囲んでおり、建物を見ればチッコイ堂が有りますが、その堂に近寄ってみれば、どお見ても廃堂にしか見えない。
説明看板には「堂内には平安時代の等身大の神将像が残されている」と書いてあり、ほほおぉぉ・・さすが歴史が有りますなぁ。
で・・当然、そおいう歴史的な貴重な物は、堂内に厳重に鍵を掛けて隠してあるもんだと思ってました。
が・・堂の右脇に金網に入った、ほとんど形が残ってない木像が置いてあり、ひょっとして、これが平安時代作の神将像?
うむうぅぅ・・・平安時代から現在まで残されている物ならば、この程度に朽ち果てるかもしれんが・・・
こんな無防備に置いてたら、ユスリ・タカリでウットオシイ隣国のブツゾー泥棒が、また味を占めて盗んで行きまっせぇ、気を付けなくっちゃぁ。
「国分寺」跡近くに気多神社が有り、「越の下草」によると、その社務所が「慶高寺」という6番札所だったらしい。
建物の造りを見ると、丸窓の雰囲気から、そお言われれば元は寺だったかもしれん・・という気もします。
ついでに気多神社にも寄り、参拝しました。
実は「伏木」に5年間住んでいた事があるのですが、当時は今のように神社仏閣には全然興味が無く、あんまりそこらをウロつかなかったのです。
気多神社の存在は知ってましたが、神社境内まで入った事がありません。
神社入口に清水が出ており・・・こんなの有ったかなあ・・そおいうば、一度この水を汲みに来たかもしれなく、今日は暑い日だったので、脱水症状予防対策のためにガブガブと清水を飲みました。
気多神社境内は、落ち着いた古い感じがしました。
伏木から高岡市内へ行く途中、どうもバイクの馬力が出ず、気のせいか横滑りもするようなので、見ると後輪タイヤの空気が少ない。
途中のガソリンスタンドで、空気を入れさせてもらったら馬力が出た。 おぉぉぉ・・!(^^)!。
高岡市内に有る8番札所「総持寺」もわかりにくい場所で、大きい道路を2回ほど往復して、やっと入口の小路を見つけました。
総持寺・山門周囲の塀沿いに「六十六部の石仏」が並んでます。
「総持寺」境内の水が出る所でオババが花の手入れしており、挨拶してから柄杓で水をガブガフ飲んだら「生ぬるいでしょう」と同情してくれ、うん・・確かに生温かった。(^O^)
観音堂内に入って参拝し、風が通った時の一瞬は涼しかった。
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