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 竹内文書・御皇城山よりの展望、「越中一国観音霊場」紀行文  巡礼日 2013.8.18  掲載日 2014.2.28


竹内文書「御皇城山・皇祖皇大神宮」の「夏の例大祭」/越中一国観音霊場記

 「越中一国観音霊場」とは関係ありませんが、御皇城山(おみじんやま)と言う、聞くだけでも神々しい山が富山市呉羽地区に有ります。竹内文書・御皇城山へ、「越中一国観音霊場」紀行文

 富山県人でも地元付近の人以外は、この御皇城山の名前を知っている人は少ないと思い、なんせ美少年時代に富山県で過ごしたσ(*_*)でさえも知らなかったんですから・・・(^O^)

 でもって、この山に奉られている「皇祖皇太神宮」と言う神社名も、大部分の人が知らないと思います。

 そのような富山県人でさえも知らない場所・神社なのですが、実はそのスジの人達には(どんな人じゃ?(^O^))、もんのすごく有名な場所なんです。竹内文書・御皇城山入口、「越中一国観音霊場」紀行文

 「竹内文書」というチョ~古代日本歴史書が有りましてなぁ・・神代文字で書かれていたとか何とかで、それによると、この御皇城山は全世界の中心だったそうです。

 こおいうタグイの話が大好きなσ(*_*)のような、そのスジの人にとっては、ぜひどんな所か一度は訪ねてみたい所ですわなぁ。(^_^)v

 この「越中一国観音霊場」を巡る計画した時に、ここで「皇祖皇太神宮・夏の例大祭」が有る事を知り、その祭りを拝見するために日・時間の調整をしました。

竹内文書・御皇城山参道、「越中一国観音霊場」紀行文    竹内文書・御皇城山参道、「越中一国観音霊場」紀行文    竹内文書・御皇城山参道、「越中一国観音霊場」紀行文

 御皇城山の麓へ行くと、行き止まりのような所で車から人が降りたので、「これ以上は、バイクでも行けないですか?」と聞くと、やっぱりダメらしい。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮境内、「越中一国観音霊場」紀行文

 「夏の例大祭」当日のためなのか山道は草が刈ってあり、「皇祖皇太神宮」の看板も有って10分ほど歩きました。

 「皇祖皇太神宮」鳥居の階段を上がると、境内には一面にテントが張ってありゴザが敷いてある所で、ジサマ達が声を掛け合って一休みし始めるところでした。

 なんせ、あんまり知られてない独特の神社だから、それなりの礼儀作法が有ると思い、勝手に尺八を吹いて参拝すると、袋叩きにあってドツキ回され、神前に生け贄として供えられるかもしれんので「氏子の方ですか?尺八吹いて参拝して良いでしょうか?」と、お伺いをたてました。

 「ここは氏子はいない。何でもして参拝しても良いと思う。」とアッサリ・・・どおやら雇われた人が、テント設置や清掃をしてるらしかった。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮境内、「越中一国観音霊場」紀行文

 本殿と言って良いのか、どうか・・・チッコイ祠の前で「手向」「阿字観」の二曲を吹きました。

 これを書いてる時にチラッと調べてみると、竹内文書には、いろんな逸話が有るんですなぁ。

 南朝「熊沢天皇」にも関係しており、熊沢家に伝わる家宝が明治時代に虚無僧に盗まれ、天津教の竹内が古物商より買い取った物が「竹内文書」だと主張したらしい。

 その真偽はわかりまへんが、盗人の虚無僧が絡んでる・・となると尺八を吹いたのはマズかったかなぁ。

 祠前の建物には説明書き看板が貼ってあり、尺八の手入れをしながら読むと「竹内文書」的な内容でした。

 祠の裏にゴザが敷いてあり、灰皿も有ったのでそこに座ってモクを吸ってると、バサマが来て「そこは神主の控えの場所だ」と叱りに来たので、「すんまへん、知らぬ事とはいえ・・」と謝りました。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮資料、「越中一国観音霊場」紀行文

 10時半から「夏の例大祭」が始まるらしく、まだ1時間半も待たねばならず、どうしょうかなあ・・と思いましたが、たぶんこおいう珍しい神事に参加する機会は二度と無いと思い待ちました。

 テントの後ろに有るベンチに座って待ってると、若い男3人が受付をしている所で何かの袋を貰ってモクを吸いに来た人が来たので、聞いてみると岐阜県から初めて来た人と去年も来たという人達で、受付料を払ったら記念品らしいのをくれたらしい。

 受付の所へ行ってみるとバンフレットとかお守りのような物を売っており、受付料を払うほどの信心は無いので見るだけにした。

 例大祭が始まるのを待っていると、黒服を着たオバハンがテント内のゴザに座って、いきなりパチパチパチパチ・・・と拍手したので、何かオモロイ事でも始まったのかと思ったら、後で分かったのですが、それがここの参拝方法らしい。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮・参拝の仕方、「越中一国観音霊場」紀行文

 ジサマ・バサマが隣のベンチに座ったので聞いてみると、この人達も千葉から初めて来て、信者ではなく神社関係を調べている者だと言います。

 テント内のゴザも大部埋まって座る場所が無くなり、一人のオバハンが側に立ったのでベンチを横移動して席を作ってやりました。

 やっぱり野次馬コンジョ出してオバハンに聞いてみると、去年初めて来たと言い、儀式について質問すると一杯説明してくれました。(以下、紫色はオバハンの説明)

 他の神社との違いは「4拝8拍手1拝」で、先程のパチパチパチ・・がそれだったらしく、回数は「四方八方」を表す。

 合掌するのかと思ったら、人差し指だけ立てる印のような形にして、これは神主が持つ錫の形を表してる。


 そお言えば、そのような事が祠の看板に絵入りで書いてあり、やっぱり、こおいう事は目で見て読むよりも、人に聞いた方が分かりやすい。
竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮・お祓い、「越中一国観音霊場」紀行文
 玉串を捧げた後に「釜鳴り」が有り、刀で清める神事も有る。

 ほほおぉぉ・・そりゃあぁ~・・ここまで辛抱強くモク吸いながら待ってたかいが有ったなぁ、ぜひ拝見しなくっちゃあぁ。!(^^)!

 この場所は古墳の上に建っており、付近には古墳がまだ沢山有る。
 地元の人は祭りに関心が無いよおだが、県外の人達が去年も沢山来ていた。


 そのうちに顔見知りのオバハン(この人を以後「後オバハン」とします)が来たので、さらにベンチの横に移動して席を詰めて一緒に座りました。

 オバハン同士の話を無関心を装いながらも、何ぞオモロイ話でもしないかと耳ダンボにして盗み聞きしてると、けっこう神様がどうの・こうの・・・と言っており信心深いよおです。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮・火打ち、「越中一国観音霊場」紀行文

 ちなみに、オバハン達に記念に写真を撮らせてくれと言ったら、後オバハンが「写真を撮られると、何とか?が抜かれる・・」と言ってダメだと断られた。

 時間になり神主が何か言ってるが、後ろの方に座ってたもんだから、何を言ってるのかよぉ~聞こえない。

 お祓いは、普通の神社では御幣をサア~ッ・・サア~ッ・・と大きく振るのですが、こちらのお祓いはサササササ・・と小刻みに振り、「チャッ・チャ・・」と音をさせて「火打ち石」も切ります。

 その後は神主さんと同時に、信者一同も8回拍手します・・皆さんマジメでんなぁ。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮・信者、「越中一国観音霊場」紀行文

 チラ見すると、オバハン達も指を立てて頭を下げており、ゴザの所では両手をついで深々と頭を下げてる熱心な人もいました。

 神主が神様の名前を一杯呼んだ後、涼しい風が吹き、後オバハンが「あぁぁ・・たくさんの神様が降りて来た。」とツブヤキます。

 それを聞いて、できればσ(*_*)も神様を見たいと思い「えっ?・・見えるのですか?」と現実的な事を聞くと、涼しい風が吹いた時、一緒に神々が降りて来たのだとオバハン達が言います。

 ふうむぅ・・このような場での暑い時の涼風は、そのように考えれば、そのようにも思え、なかなか詩的ですなぁ。

 参拝者が玉串を捧げる段階になった時、説明を聞いたりして、すっかり親しくなったオバハンから「一緒にどうですか」と誘われたが、受付料金も払ってないしなぁ・・と思い断りました。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮・釜鳴のカマド、「越中一国観音霊場」紀行文

 次の「釜鳴り」神事は、何しているのか遠いのでわかりません。

 付近の人達は神妙に頭を下げてるのに、一人ポカ~ンと口開けて見てると、そのうちに「ゴオォォ~・・~~ォォ~・」と飛行機が飛んでるような、かなり大きい音が切れ目無く聞こえてきました。

 富山空港が近くに有るので、その音かとも思ったが、念のためオバハンに確かめると、それが「釜鳴り」の音でした。

 男釜と女釜が有るらしく、次の女釜は最初少し鳴ったが、後はあんまり聞こえない。

 先程から白衣を着たアンチャンがカメラを持ってウロつきながら神事を撮影しており、後オバハンが話しかけて聞くと「竹内家の子孫だ。」と言います。竹内家子孫の名刺・御皇城山・皇祖皇大神宮、「越中一国観音霊場」紀行文

 そりゃあぁ~・・後オバハンは驚き、たまげっちまい・・・σ(*_*)も、竹内家の子孫が、まさかここに居て、現実にお目にかかるとは思わなかったのでビックリした。

 後オバハンが名刺を貰ったので、記念にデジカメで写させてもらうと、団扇の上に名刺を載せて差し出し、こおいう礼儀作法は、とっさの場合に出て来るものではなく、常日頃から心がけているのでしょう。

 σ(*_*)ならば、そのまま名刺を掌に乗せて写させただろなぁ・・・見習わなくちゃ。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮・釜鳴、「越中一国観音霊場」紀行文

 それを見た子孫は「写さなくても・・」と言って笑いながらσ(*_*)にも名刺をくれました。

 名刺を見ると「竹内」ではなく「武内」の名字になってますが、古来より日本では分家とか何とかになったら、そおいう風に名字を変える事も有るよおです。

 子孫は、この付近のイナカでは、お目にかかれないような都会風でキレイなヨメさんを連れており、神主に挨拶をしに行ってたのを見ていたので、最初に見た時は氏子関係の下働き程度だと失礼な事を思っており、世が世ならば神主よりも上座に、デエ~ェンと座っていても不思議でない身分だと思う。

 「釜鳴り」神事が終わると、神主より「お告げ」の内容を言いましたが、やっぱりあんまりよぉ~聞き取れない。

 どうやら音の大きさ・長さなどで判断するらしく、女釜は最初鳴ったが少し休み・また鳴り・・と説明していた。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮・釜鳴のご飯、「越中一国観音霊場」紀行文

 神事が終わり、オバハンが「竹内宿禰の墓が「「神名(地名)」の墓地の中にあり鳥居が立っている」と知り合いらしい他のグループの人達と立話しをしてます。

 その場所へ行きたいが、だれもその場所を知らないので、グループの人達がオバハンに道案内を頼んでおり「あなたも行きますか?」と聞かれたので話しの種に行く事にしました。

 「釜鳴り」で炊いたご飯を、昨年は一口づつくれたとオバハンが言ってたので、どんな物かと貰いに行くと塩の包みも一緒にくれました。

 「このまま食べて良いのか?」とご飯係の人に聞くと、「シンが有るから、炊飯器に入れて炊き直した方が良い」と言います。竹内文書・御皇城山・皇祖皇大神宮・刀神事、「越中一国観音霊場」紀行文

 そか・・そのままでは食べられないのならば、これを貰って喜ぶ人にあげた方が良いなぁ・・今まで隣に座って親切に説明してくれてたオバハンならば、たぶんこのご飯を喜ぶだろなぁと思い、人混みの中を探し出しました。

 「はい、これ・・ご飯を貰って来ましたよ。」と言って渡すとビックリして最初は遠慮したが、「σ(*_*)は旅行中なので・・」という言葉で受け取り、後オバハンがウラヤマシそうに横で見ていました。

 この後に行われる刀神事を見たかったので、先程の墓へ行くのはヤンピする事も伝え、刀神事は小刀で両肩を押すようにして、後は気合いをかけて肩をもんでるような感じでした。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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