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巡礼日 2012.11.18 掲載日 2014.2.7
阿蘇市にある九州西国33観音霊場の12番札所「青龍寺」は、明治の廃仏毀釈の時に廃寺となったため本尊さんは転々としてました。
今は縁有る人の民家に置かれているらしいが、事前調査でもその場所が正確にわからず、まぁ・・個人宅だから、あんまり正確な場所も書きにくいかもしれまへん。
「阿蘇神社」付近だと目安を付けてるので、「宮地駅」から真っ直ぐの道を進み、町の中でトッツアンを呼び止めて聞きました。
「この付近に九州西国33観音の寺が有るのですが、どの付近でしょう?」
「寺?・・知らんなぁ・・」
「あの・・寺の形では無く、普通の民家らしく、この番地の所です」
と言って紙に書いた青龍寺の住所を示すと
「おぉぉ・・そお言えば、札所らしい家があった。 この道を進み、ゆるやかに曲がったところに薬局あるから、その駐車場の所だ。」 と教えてくれました。
少し行くと、街角に「実の水」と看板が有り、惜しげもなく水が流れ、すぐ近くにも清水があり、この付近は清水が多いんですなぁ。
「水基巡りの道」と言うらしいが、こおいうのが有るとは知らんかった。
ゆるやかに道を曲がり、駐車場が有るなあ・・と思ったら、そこに九州西国33観音霊場の12番札所「青龍寺」石碑があります。
あれっ?・・と思って付近を見渡すと、薬局の看板が後ろの街灯に掛かっており、薬局には気付かず通り過ぎてました。(^O^)ワハハハハ・・・
札所「青龍寺」の正面付近に「昭和の金物店」が有るので、「九州西国33観音霊場」札所巡りをする人は、この金物店も目安にしたほうが良いかもしれまへん。
札所「青龍寺」は普通の民家なので、わざわざ案内を乞うて家人に出て来てもらうのも気が引けるので、参拝はしなく写真だけ撮りました。
ついでに「阿蘇神社」へ寄るつもりで歩いてると、「水基巡りの道」の看板と共に、あちこちで清水がドンドコ出ており、阿蘇神社の境内で一休み。
巫女さんが「お守り」の整理していますが、尺八での参拝許可を尋ねても、どうせわからんだろおと思い、男の神主が窓口に出てくるのを待ちました。
やがて窓口に神主が来たので 「尺八を吹いて参拝したいのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、右側の方でお願いします。(アッサリと)」
参拝風景を眺めていると、参拝者は賽銭箱の前で列を作っており、けっして割り込んで自分勝手に賽銭を入れて参拝はしておらず、じいっ~と並んで自分の順番が来るのを待ってます。
へえぇぇ・・・この「阿蘇神社」の参拝者は、他の人の参拝をジャマをしないように気を遣っており礼儀正しいのですなぁ、こおいう参拝風景は初めて見た。
でも、σ(*_*)は正面で参拝しないので、横の方から賽銭を入れてサッサッと尺八参拝しました。
吹奏しての終わり頃、喉がムセたので一度咳払いしたが、その後は苦しくなって以後の吹奏がキツク、喉がムセなかったら、もう一曲吹いたのにい。
実はこの「九州西国33観音霊場」の巡礼期間中にカゼをひいちまい、喉が痛くて市販の薬を買って飲んだが、まだ完全に直っていませんでした。
夕暮れが迫り、九州西国33観音霊場の13番札所「西巌殿寺」に着き、大きい池の庭園があるが(一番上の写真)、建物は庫裡のような感じがして本堂の場所がわからん。
札所看板が掛かっている所が「西巌殿寺」本堂らしいが、玄関を少し開けて見ると普通の玄関のようで、本尊さんが居るような堂の雰囲気ではありません。
どうしょうかなぁ・・ここまで来て参拝を中止するのもなぁ・・ちょうど他の場所から家の人が出てきたので聞くと、そこが九州西国33観音霊場の札所だと教えてくれ家の中へ声を掛けてくれました。
玄関を開けましたが・・・なんせ過去に、勝手に玄関から入って上がった「下北霊場の某寺」のように「どこから来た」「何しに来た」「何を参拝するのか」と、ややこしい事を言われて、もんのすごく不愉快な思いをした事があります。
越後屋も、同じようにその時の事を思い出しており、お互いに顔を見合わせて、どうしょうかいのおぅ・・ヒソヒソ・・・と相談。
もぉ・・中に入らずに、この玄関先で尺八吹いて参拝しちゃおうと尺八を袋から取り出して参拝準備しました。
そのうち部屋の電気が点き、「あがってください」とオバハンの声が有ったので、玄関の障子戸を開けると、ゲッ!!・・・椅子がズラッ~と並んで、正面に祭壇が有り・・葬式でもあったのか?
部屋を改造中なので、本尊さんを前に出してあると説明が有りました。
とりあえず尺八吹いて参拝したが、阿蘇神社と同じように、終わり付近で喉がムセたので、咳払いをしたが、やはり苦しくアカンかった。
それでも尺八参拝が終わると、奥さんが茶を勧めてくれ「自分の父も尺八を吹いていたので懐かしかった」と言います。
聞いてみると「佐賀で都山流の先生をしており「定年になったら虚無僧するのだ」と言ってたが、46歳で亡くなった。
たくさん持っていた尺八は弟子の皆さんに分け、1本だけ残してあるが、今はどこにしまったかわからない。
昔は尺八を聞いても面白くなかったのですが、今、改めて聞くと懐かしい。」
話してると奥さんの携帯電話が鳴ったので、それを機会にサヨナラしました。
奥さんも琴をやっていたそうなので聞く耳が肥てると思い、どこで尺八・邦楽関係の人と会うかわからんもんですなぁ。
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