HOME > 「全国の遍路・巡礼」目次 > 「田名部海辺33観音(下北半島)」地図と目次 > 5 脇野沢
早朝、蠣崎より自転車に乗って出発。
昨日来た田名部海辺33観音霊場の札所「流水庵」近くに「蠣崎八幡宮」が有り、社殿の彫り物が道から見ても立派そうだったので、写真を撮りに入ると軽トラも入って来た。
境内にも古びた太い鳥居が有り、軽トラのトッツアンに話しを聞いてみると、「山の神」が奉ってあり、昔は山の中に有ったが、ここに移したそうな。
太い鳥居に近寄って見ると、入口の石に「山神」と彫った小さい石が置いてあり、「山の神」は、熊野古道を歩いた時にも有りましたが、へえぇぇ・・・ここにも有ったんだ。
蠣崎八幡宮の由来看板を読むと、1334年から続く歴史の有る宮のよおで、帰ってからその年号を調べると、鎌倉幕府を滅ぼして天皇中心の政治を目指した後醍醐天皇が「建武の新政」を始めた年だそうな。
単なる村の鎮守さん程度の神社かと思っていたが、こんな由緒正しい古くから有る神社だとは思わなかった。
さらに少し離れた神社脇の生け垣にも看板が有ったので、何かと思って読んでみると「姫小杉由来記」と書いてあり、おぉぉぉ・・いかにもカワイソーな云われが有りそうな題名だこと。
「この道は狐沢(こざわ)鬼伏(わきのさわ)へと続く古道である。」
ここでも、へえぇぇ・・古道がこんな所に有ったのか・・・と思い、地図で確認したが付近には「狐沢」「鬼伏」という地名が見当たらない。
ん?・・・どこへ通じる古道なの?・・道は山の中へ入って行く感じだが。
「鬼伏」という地名は、遠く離れた「越後33観音霊場巡り」で見た事が有ったが、まさかここから越後の国まで道が続いてるワケがないわなぁ。
どおやら、旧地名のよおで現在「小沢」という所が昔は「狐沢」と書き、「鬼伏」というのは、よぉ~わからんが「脇野沢」を指してるらしい。
「山に通じる古道脇に、蠣崎城のお姫さんの墓と言われる樹齢500年の大杉が有ったが、村人が止めるのを聞かずに、持ち主が切っちゃったそうな。
そしたら、あぁたぁ・・持ち主がタタリを受けてカワイソーな事になったらしい。」
想像していたお姫さんがカワイソーな目に遭ったのではなく、大杉を切っちゃった人がカワイソーな目に遭ったという話しでした。
国道沿い陸奥湾の海を眺めながら、チンタラと自転車を漕いでると、「松ケ崎」という所に赤い鳥居があり「石神神社」と書いてあります。
少し岬になっているよおで、見て行こうかなぁ、どうしょうかなあ・・と思ったのですが、どうせ大したこと無いだろおと思い、そのまま「脇野沢」へ向かいました。
ところがこの原稿を書いてる時にネットで調べてみると、この「石神神社」には、もんのすごい云われが有り、大したモンだったのですねぇ。
「云われ」によると海でナマコを採っていたら大きな石がかかり、それを何度捨てても引っ掛かるので、この石を奉ったそうな。
それだけならば、どこにでも転がっている石と変わらんのですが、トッツアン驚くでねぇ。
この石は日が過ぎるにつれて成長し、巨大な石になったらしい。
あちゃあぁ~・・・そおとわかっていたならば、見ておけば良かったなぁ。
こおいう怪しげな話しは、σ(*_*)もんのすごく好きだったのにぃ、惜しい事をした。
田名部海辺33観音霊場の30番札所「脇沢寺」は国道沿いに有ります。
「脇沢寺」本堂の戸が開くかなと思って開けると、ちょうど寺の奥さんが居て「観音さんの参拝ですか?」と聞いて、中の左側奥がそれだと親切に教えてくれました。
教えられた左側の柱には、田名部海辺33観音霊場の納札がブラ下がっています。
2曲吹いて参拝を終え、壁の彫刻が良かったので、デジカメで写真に撮ろうとしたら奥さんが来て、「これから出かけて留守にするので・・・」と急いでるらしく、写真は撮れずじまいでした。
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