田名部海辺33観音札所の8番札所「寶國寺」へはこの付近だろおと思いながら、大畑町内の細い道を自転車で走ってました。
寺の屋根が見えたので「おぉぉ・・あれじゃ」と喜びましたが・・隣にも寺が有り、地図で確かめると屋根が見えた寺では無く、どうも隣の寺が目指す寺のようなのです。
境内で草取りしてたオバハンが居たので、「寶國寺」かと確認すると正解でした。
ふと見ると正門が別の所に有り、どうも入って来た所は「寶國寺」勝手口というか横から境内へ入ったよおです。
再び「寶國寺」境内を出て細い道を行き、正門まで行って入り直しました。
いや、別に信心が有るから、どおしても正門から入にゃアカンというコダワリが有るわけでなく、単に写真を撮りたかっただけでして・・
「寶國寺」堂の扉が閉まっていたので、その前で一曲のみ尺八吹奏。
次の17番札所「心光寺」は本堂に入れたので、2曲吹き、ここの寺入口には、大きな柳が有ります。
9・10番札所「大安寺」は大きな寺で、参道脇にはそれに比例して墓もよけい有り、ここも本堂に入れたので2曲吹きました。
大畑町の繁華街に戻り、昼頃なので食堂に入って「いかすみラーメン」なるモノを食べてみました。
汁が「いか墨」の色で黒いだけかと思ってましたが、麺も黒かったので、これは想定外。
証拠写真に越後屋に箸で麺を持ち上げさせて「パチリ」。
味は黒色から想像していた塩辛い味ではなく、これはこれなりに美味しかった。
「いかすみラーメン」は、この付近の名物らしく、お勧めのラーメンだと思う。
次の11番札所「優婆寺」へ行くと、葬式が終わって祭壇の後片づけの真っ最中でドタバタしています。
このドタバタしてる時に尺八参拝しても落ち着かないと思い、次の31番札所「北関根観音堂」へ先に行き、帰りに寄る事にしました。
(すんまへん、地図には「左」と書きましたが「右」です)
「北関根」集落に入り、ここの「北関根観音堂」も、場所がよぉ~わからん所です。
ちょうど家に入ろうとしているオババを捕まえて、観音堂の場所を聞きました。
しかし聞いた相手が悪かった・・・もんのすごい、わかりにくい方言で教えてくれ、要約すると「青い屋根のある所に有る道を、左に曲がって行けば何とかなる。」
そして、その「何とかなる」が、ホンマに何とかしなければアカン場所で、帰る時に気付いたのですが、その左に曲がる箇所に「観音堂」の木杭が有りました。
そこから見えている寺の屋根は、観音堂とは全く違うらしいのが、よおやくわかった。
教えられた道を曲がって行くと、道端に木杭が有り「三十一番札所←」と書いてあります。
しかし矢印の方向が家の敷地内へ向いているので、まさか敷地を通って行くのではないじゃろなぁ。
「大畑湊延寿庵」の例もあったので、木杭近くの小道を行くのかもしれんと思って、近くの小道を行ってみると神社に出ちまい、こりゃアカン・・と思って引き返し、まさかと思いながら木杭の矢印方向の家の敷地へ入りました。
心の中で「すんまへん、おじゃまします・・」とツブヤキながら行くと、突き当たった所でふと右を見ると観音説明看板が見えました。
この「北関根観音堂」の場所も初めての人には、わからんじゃろなぁ。
観音説明看板が見えなかったら、そこに観音堂が有ると思わず、この家の物置だと思って引き返したと思う・・たぶん・・。
確かに「何とか」しなければアカン所だと思い、オババがわかりにくい方言で、わかりにくい場所を、物わかりが悪いガンコジジイに一生懸命説明してくれた苦労が偲ばれます。
せめて今まで有った幟を目印に立てれば良いのになぁ。(ここには札所看板・幟は無かった)
「北関根観音堂」戸が開いたので、この敷地の家の人に気遣いしながら狭い堂内で1曲吹きました。
堂内には、年代モンらしい獅子頭が飾ってあり、今まで何度か見てきた最近来た人の納札が置いてあり、一週間ほど前に来たよおです。
大畑へ引き返し11番「優婆寺」へ行くと、葬式の後片づけが終わって人気が無く、寺の戸はキッチリ閉まっています。
1曲吹いて、賽銭と納札を戸の隙間から入れようとしたが、どうにもこうにも入りません。
しょうがないので脇に有る植木鉢の台に、賽銭を重し代わりにして納札を置いときましたが、気づいてくれるかなぁ。
敷地内に犬小屋が有り、犬が居ないのかと思って近寄ると小屋の中で寝ており、近づくとウナリ声を出します。
越後屋が近寄った時には何ともないのに、やっぱり犬嫌いなのがわかるのかな?
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