最初は自転車で「恐山」へ行こうかとも思いましたが、山なので上がりがツライと思い、コンジョナシなもんで車で行きました。
恐山へ行く道では霧が出ており、途中に「恐山冷水」というのが有り、言い伝えによれば、この水を1杯飲めば10年、2杯飲めば20年・・と長生きするらしい。
別に長生きしようとは思わないが、せめて後20年ほど80才位まで生きて、頭もボケず寝たきりにならなければええんだが・・と思いながら水を2杯飲みました。
やがて大きい湖が見え、おぉぉぉ・・・!!、「恐山」にこんなに大きい湖が有るとは思わなく、「宇曽利湖」と言うらしく、少し硫黄の臭いがします。
やがて赤い太鼓橋が見え、その付近に車を止めて橋を見物に行くと、橋に架かる川に「三途の川」と彫った石柱が有りました。
で・・・その「三途の川」に架かる橋の名前は、何て言うんだろぉ?、たいてい橋には名前が有るもんだが・・・だれか知ってたら教えてね。
先程から赤い橋の上で、数人の人が太鼓橋の欄干に白い布を捲いてます。
付近に居る観光客らしいトッツアンに
「あれは、何やってますの?」「さぁ・・ワシもわからんなぁ・・・」
どおしても気になるので、布を捲いてる人に近寄り「すんまへんが、これは何しとるのでしょうか?」と尋ねました。
リーダーらしいオバハンが「あの世へ行くには蝋燭の明かりも届かない暗闇なので、せめてこの白い布を手探りで触りながら行くのです。」と教えてくれました。
ほほおぉぉぉ・・・・聞いてみるもんですねぇ、こおいう風習が有ったのかぁ・・初めて知ったでぇ。
「最近、亡くなった人が居るのですか?」「そうです。」
ついでに「この赤い橋は、三途の川に掛かる橋で渡っても良いが、向こう側に降りたら、もう冥土なので、向こう側に降りる手前で引き返さないと、この世に戻れ無い。」と教えてくれます。
それを聞いてた先程のトッツアンが「あちゃあぁぁ・・向こう側に降りちゃったでぇ。(^O^)」 「ダハハハハハ・・・・(^O^)」
「恐山」は時節外れのためか、観光客がほとんど居なく閑散としてます。
「恐山」の田名部海辺33観音の結願寺「菩提寺」に、入場料500円を払って境内に入りました。
山門の脇に「本堂」が有ったので、これが33番札所の結願場所「菩提寺」だと思い、受付へ行き「尺八を献笛しても良いか」と尋ねると「堂内でなく、外で吹くには全く構わない」との事でした。
本堂前で1曲吹いて参拝し、終わったら後の方で聞いてたジサマが誉めてくれました。
参道の正面にある堂へ行くと、田名部海辺33観音霊場の説明看板があり、あらっ・・ここが本当の結願所「菩提寺(地蔵殿)」だったのね。
さすれば、ここでも1曲を・・と思って吹いたら、最初の出足の音が風に飛ばされて失敗し、あちゃあぁぁ・・戸外なので風向きを考えるのを忘れていた。
正面より少し斜めを向き、風を背にするようにして改めて吹き直しました。
参拝し終わったら、先程「三途の川」に架かる赤い太鼓橋で白い布を巻いたリーダーのオバハンと越後屋と話しおり「尺八を聞かせてもらって、ありがとう」と何度も言われたらしい。
でも、尺八を吹いてたのは越後屋でなく、σ(*_*)なんだけどなぁ。
岩がゴロゴロしている地獄巡りをする入口付近に「奥の院」の看板が有り、それを見た越後屋が行く気満々で先頭になって行きます。
普通、こおいう場合はσ(*_*)に先に行かせて偵察させ、面白そうだったら後からノコノコ付いて来るのだが・・
思ったほど山道を行かず、お堂が有るのかと思ったが「奥の院」は不動明王の石仏だけでした。
地獄巡りをしてると、硫黄の吹き出てる箇所に小銭がゴッテリ置いてあり、硫黄による科学変化で黒く錆て、一見すると焼け焦げたような感じがします。
別に賽銭を置くような場所でも無いのに、だれかが最初に置いたもんだから、それを見た人が次々とマネして置いて行ったのでしょう。
なんせ、日本人だから何でもマネしないと・・と思っちゃうもんだから・・寺の人も、こおいう小銭をどうしたもんか・・と迷ってるじゃろなぁ。
地獄巡りをしていて人の姿が全く見えないと、ホンマに荒れ果てた地獄を、一人寂しく彷徨っている気分になります。
考えてみると「恐山」は他の観光地と違い、さすが日本三大霊場だけあって、観光的な看板とか派手な物が無く、騒がしい音楽も聞こえないからでしょう。
たまに少数の参拝者が遠くを散策しているのが見えると、亡者が連れだって地獄の出口を探しながらウロついてる雰囲気にも見えます。
死んじゃったら、こんなような場所を、一人で当てもなくウロつくのかなぁ・・サミシイだろなぁ。
「八角堂」へ行くと戸が閉まっており、中を覗くと作業服を着た人達が、供えられた千羽鶴や紙などを選り分け仕分けしています。
事務的にゴミの選別をしているような感じだったので中へは入りませんでしたが、こおいう作業は参拝者が居ない時間か、目に触れない場所でやって欲しいなぁ。
四国八十八カ所の寺でも、参拝者が居るのに焼却炉へ納札を放り込んで燃やしているのを見た事があるが・・・供えた人や納札を入れた人が、その作業風景を見たら、どう思うじゃろうか?
σ(*_*)の入れた納札も、きっとゴミと一緒に燃やされちまったんだろおなぁ。
「極楽浜」は人の気配も無く荒涼としており、極楽と言う名前よりも、この世で「賽の河原」の再現しているような感じです。
そこの東屋付近で、若い男の人が熱心に地蔵さんを描いてました。
岩場を上って行くと、表札とかレンガに名前を書いたのが置いてあり、こおいうのは寺に届けて置いてあるのかな?
何となく勝手に置いて行ったような気がするが・・・でも気持ちは、よぉ~わかります。
σ(*_*)のように信心が足りんモンでも、恐山に故人名を書いた物を置いて行きたい気持ちになるから・・・
高台に上ると積んだ石の上にカラスが一羽止まっており、近づいても逃げず、人慣れ・・いや、亡者慣れしてるんでしょうか。
山門付近に戻ると場違いな感じの木造の小屋が有り、それが温泉でタダで入湯できるのは知ってました。
しかし、初めから温泉に入るつもりは無かったのですが、越後屋にその事を教えてやりました。
そしたら「何で初めに教えてくれんかったのか。」とモンクを垂れ始め、「だれが何と言おうとも、どうしてもこうしても、絶対に温泉に入るのじゃ」と車まで、わざわざタオルを取りに戻りました。
ええいぃぃ・・欲深いゴォ~ヨクババアめ。
後で温泉の感想を聞いてみると「良いお湯で、だれもいなかった。ずうっ~と入って居たかったが、5分以上居ると硫黄か何かの毒に当たってアカンらしい。」
越後屋が温泉に入ってる間に売店へ行くと、どこかのカーチャンがトオーチャンに「あんたも、ここで書かれよ。」と叱りつけながら、売店のベンチを机代わりにして、売ってる草履の白い鼻緒に手分けしてマジックで名前を書いてます。
ここでも、「あの・・すんまへんが・・」と言いながら、何をしているのかその訳を聞くと「あの世でも労働というのか仕事が有るらしく、亡くなった人にこの草履を履いてもらうため、寺に供えるのだ。」と教えてくれました。
ふうぅ~ん・・聞いてみるもんだなぁ、「恐山」にはいろんな信仰というのか、その土地に応じた風習というのが有るんですねぇ。
杖も同じ所に置いてあったから、足腰の立たない年寄り亡者用なのかしら?。
信仰心の足りないσ(*_*)に言わせると、店と寺が草履を販売して儲けてるようにも思うが・・・
この後に行った「道の駅 あさむし」にも、このような草履が売っており、その説明書きによると・・
「恐山へ草履と手拭いを持っていく訳」
あの世から降りて来た霊が、あの世へ戻る時に、手拭いと草履を持って帰れるように、無くなった人の名前と住所を手拭いや草履の緒に書きます。
お地蔵様に手拭いをかぶせて草履を置いて来ると、霊がなぐさめられると言い伝えられています。
ふううむぅぅ・・・トーチャンを叱りつけていたカーチャンが教えてくれた説明と、ちと違っていたが、「恐山」付近独特の風習なんでしょう。
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