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27 雪中行軍 (おまけ-3)
「八甲田山雪中行軍遭難資料館」つうのがネットで下調べしていた時に、「青森県観光に行った時のお勧め場所だ」というのを見つけました。
そおですがなぁ・・あの映画「八甲田山」や小説「八甲田山 死の彷徨」の資料を展示している「八甲田山雪中行軍資料館」です。
青森市の該当地へ行くと広々とした墓地らしいのが見えたので、間違って市営墓地に来たのかと思ったら、「八甲田山雪中行軍資料館」の看板と駐車場が有りました。
入場料を払うと、ロビーに居たボランティアのジサマが近寄って来て「この像は、救援隊が一番最初に見つけ仮死状態で見つかった後藤伍長で、その後の救助活動のキッカケになったので銅像になっています」と説明し、奥の資料室へ導いてくれました。
おぉぉ・・そおいえば映画で、雪の中にポツンと立っていた人が居る場面が有ったなぁ、この人が生きていたから遭難の事実がわかり救助活動が展開されたそうな。
なお、一番上の写真は、隊列を組んで進む行軍状況のミニチュア人形ですが、実際にこの資料館の前の道を八甲田山へ向かって進んで行ったそうです。
資料室はボランテイアのジサマは付いて来ず、写真撮影もOKでした。
「天は我を見捨てたのかぁ・・」と絶句する映画のクライマックスの場面が有りましたが、資料を見るとホントにそのような事が有ったらしく「天は我らを見放したようだ。このうえは強い者が弱い者を助け・・」と手帳に書いてあったように思う(写真を撮っておけば良かったが、ウロ覚え)。
遭難しながら、どうしょうもない状況に陥り、それでもなお「このうえは強い者が弱い者を助け・・」と最後まで弱者を見捨てる事なく助け合うように求めて、この困難な状況を打開しようとする言葉は、通常でも、なかなか出て来ない言葉と思う。
「八甲田山雪中行軍資料館」の八甲田山立体地図には遭難者発見位置を示すランプが点いており、想像以上の広範囲に散らばって発見されてます。
うわぁ~こんなに遠くまで散らばっていたの・・?!と、改めてほんまに彷徨していたのだと思った。
資料を見終わると先程のボランティアのジサマが近寄って来て「外の案内をする」と言って連れ出します。
一瞬、長野県「象山地下壕」における「お金を貰うボランテイァ」の苦い事を思い浮かべたが、幸いそのような事は無く、もんのすごく親切丁寧に説明してくれ、はい、もちろんタダです。
外は「幸畑陸軍墓地」となっており、そこに立ち並ぶ墓の正面は士官、左右は下士官・兵の墓で、当時は士族でないと士官になれなかったらしい。
陸軍墓地の周囲には松が並木道のように植えてあり「多行松」と言って、根本から枝が分かれている珍しい松だそうな。
説明が終わったので、ボランテイアのジサマに礼を言って別れ、近くにある小屋へ行くと「遭難凍死者英霊堂」となっており、狛犬としてアイヌ犬2匹が番をしています。
この「八甲田山雪中行軍資料館」で初めて知ったのですが、アイヌ犬2匹が八甲田山・遭難者探索に活躍し、その1匹が途中で子犬を2匹出産したらしく、生まれた子犬に「八甲」「ベンケイ」と名付けられ、記念?として狛犬として置かれたようです。
英霊堂には両側に、高さ40Cmほどの木像がズラリと立ち並んでいました。
ボランティアのジサマから聞いた、映画「八甲田山」と実際の違い
★遭難の原因は「付いてきた上官の横槍が入って、指揮系統の乱れとなった」と言われてるが、そんな事は無かった。
★映画では弘前・青森連隊の責任者が訪問して情報交換した事になってるが、そのような事は無かった。
★映画では、袋の紐が切れて弟が遭難したのが、わかったというが、そんな事は無かった。>
いやあぁ・・聞いてみるもんですなぁ、もっとも映画・ドラマと言うもんは、真実通りに作ったら面白くないので、誇張・創作も入れると思い、全部事実と勘違いしたらアカンでしょう。
映画の主題曲「八甲田」を聞きながら、これを書いてますが、実に優しいながらも哀しく、雪の中を彷徨いなから行軍している状況が良く出ており、聞いていても不覚にも涙が出るようで鎮静にふさわしい名曲だと思います。
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