信濃33観音霊場の札所「牛伏寺」より「村井駅」まで、ほぼ真っ直ぐの道で、自転車のブレーキの音を「キーコラキーコラ」言わせながら下ります。
自転車はええですなぁ、狭い道でも通り抜けられて・・・
途中「寿」地区を通った時に看板が有り、「山の神 石仏群」と書いてあり、寄ってみましたが鳥居と石碑だけで特に面白くて変わった物が有るという事でもなかったが、一応写真は撮影した。
村井駅へ行き、昼食時だったので駅前に有る「立ち食いそば屋」に入ると、何かのキャンペーンで券をくれ、付近の駅に有る「立ち食いそば屋」で3枚集めると卵一個もらえるらしい。
しかし旅している途中なので、たぶん券は集まらないと思い「行きづりで来たため、だれかに券をあげてください。」と言って券を返すと、店のオバチャンが「他の人が「いらない」と言って残した券があるから、それと合わせて1個あげる」と言って卵を1個くれました。
えらい物わかり良く、融通の利くオバチャンだなぁ、世の中、全てこのような感じだったら、物事は笑顔でスムーズに動くのにぃ。
信濃33観音霊場25番札所「盛泉寺」へ行く途中で、「神林」集落にある「福應寺」へ寄りました。
「福應寺」と言っても「信濃三十三観音霊場」には全く関係無く、それほど有名な寺では無いので、知らない人は全然知らないと思い、実際σ(*_*)も、ネットで下調べした時に偶然見つけた寺です。
で、その偶然見つけた寺の、何が良くてわざわざ寄ってみる気になったのか・・。
実はこの福應寺は、尺八やってる人、特に普化宗・虚無僧関係を調べている人ならば、必ずと言って良いほど名前を聞いた事が有る「由良 興国寺」の開祖「法燈国師」の生誕地なんです。
どや・・トッツアン、驚いたか? (^O^)ワッハッハッハッ・・・えっ?・・尺八やってねぇから、そんなの知らねぇし関係ねぇってか・・・すんまへん・・・・。
まさか「由良・興国寺」の「法燈国師」が信州・松本市付近で生まれだとは知らなかったので、地図で場所を調べてみると、ちょうど信濃33観音霊場巡りの道筋でした。
「神戸」集落付近より所々の道筋に「福應寺」への看板が立っており、また田舎の一本道なので迷わずに行けました。
看板が立ってるほどだから、それなりに大きい寺かと思ったが、失礼ながら、それほど大きい寺ではなく、どちらかと言うと村のお寺・・という感じです。
そいで「法燈国師」が開いた由良・興国寺は禅宗なのに、なんで「福應寺」は真言宗なのかと思ったが・・・まぁ、いいか・・。
「福應寺」山門?の近くに石碑が建っており、「法燈国師」の云われが書いてあります。
本堂の扉は開かなかったので、扉前で一曲尺八を吹いて参拝。
「福應寺」境内には新しい石像が有り、ホントの事を白状すると、どうせ賽銭を集めるために新しい石像を作ったんじゃろおと、不謹慎な事を思ってました・・すんまへん。
最初は石像を無視してましたが、境内がそんなに広くなく、見る物も無いので石像に近寄ると側に「恥かき地蔵の由来」の看板があります。
ん?・・地蔵さんではなくて、どう見ても坊さんのように見えるが・・・それはそれとして、看板の文面が良かった。
「中国の言葉に「功の成るは 成るの日に 成るに非ず」があります。
功績は事が成就される時にのみあるのではなく、それまでの積み重ねが必要だという意味です。
恥をかくことは愚かな事ではなく 成功への大切な道のりです。 山主 」
「地蔵」と名称しているので、これが単なるどこにでも有る地蔵さんのタグイの石仏だったら、そんなに感銘しなくて、やっぱり失礼ながら単なる賽銭集めの道具と思っただろう。
しかし、あえて僧職のカッコウをさせた石像で、恥をかいて困ったなぁ・・という表情している「恥かき地蔵」姿が「上から目線」では無く、もんのすごくエライ。
普通の寺では、このような「恥かき地蔵」の石像を設置するのは、メンツがジャマして、なかなか出来ないと思う。
「福應寺」を出てママチャリを漕いでると、越後屋が後ろの方で止まり、金網越しに何かをデジカメで撮ってます。
何か面白い物でも有ったのかな?と思い戻ってみると、広く金網で囲まれた中にウサギが数羽居て、それを撮してたのです。
最初ウサギは警戒して近寄らなかったのですが、一匹が金網に寄って来ると、数羽が次々と寄ってきます。
「下竹田」集落を通り抜ける時に家を見ると、昔ながらの「雀おどり」を付けた大きい屋敷が目立ちます。
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