「倉科」集落を過ぎて「竹尾」集落に入ると、この付近には信濃33観音霊場札所の「5番・妙音寺」「6番・観龍寺」への案内看板が出ており迷う事はありまへん。
倉科神社を過ぎて「妙音寺」へ向かうと、リンゴ畑に点在する新興住宅の中に、一際目立つ「錆びた屋根の家」!!
その錆びた屋根を見た瞬間に、あっ、これが目指してる信濃33観音霊場の札所「妙音寺」だと、すぐにわかりました。
なんせネットで調べた時にも錆びた屋根が特徴で、いかにも無人という感じだったが、石階段を上がった所には、新しい休息場が出来てました。
ううむうぅぅ・・この休息所を作る金が有ったならば、寺を修繕した方が良いのでは・・と思った。
余りにも無人の古そうな堂だったので、戸が開くかなぁ・・と思って動かすと、そんなに苦労せずに開き、戸の前に置いてある賽銭箱は年期が入っていて蓋も外れてます。
賽銭泥棒ならば、ついつい出来心で蓋を開けるだけで、賽銭をカッパらえるのでは・・と、参拝しながらイラン心配しちまった。
「妙音時」内部の祭壇は越後33観音霊場の「越後別院」と同様式であり、勝手ながら寺内へ入らせてもらいました。
内部はかなり荒れており襖紙は破れ、畳が敷いてある所はボコボコして床が腐っているようで、これじゃあぁ~大部以前から無人になっており、人は住めないわなぁ。
そこへ近所のオババが、お詣りに来たので挨拶をし、外に出て寺の写真を撮ってると、先程のオババが側をウロウロしており、家に居てもヒマだから話し相手にでもして欲しいんじゃろか。
「妙音寺」境内に「比丘尼」という看板がやたらに立っていたので、地元の人だから知ってると思ってオババに「比丘尼」の事を聞いてみました。
きっとカワイソーな比丘尼の話が昔から伝わっており、涙を拭くためハンカチを用意しとかなくっちゃあぁ・・と思ったら、
「比丘尼?・・何それ・・?」
「あの・・この池に「比丘尼の井戸から流れる清い水」と書いてあったり(実際には水が流れて無く水が溜まってただけだったような気がする)、そこに「比丘尼塚」へ上る石階段が有るのですが・・」
「おぉぉ・・この階段を上がって行くと山の上に塚が在ってなぁ・・、昔は畑が有ったが今は何もしておらん。」
いや・・オババ、そんな事よりも、どんなカワイソーな話しなのか聞きたいのじゃが・・
「その比丘尼という人が、どのような人で何をした人なのか知りたいのですが・・」
「さぁ、知らんなぁ・・・(あっさり)」
あらまぁ・・!!
もう夕方近くだったので比丘尼塚へは行かず、帰ってからこの「比丘尼塚」の事をネットで探しても、わかりまへんでしたので、だれか知ってるカシコイ人が居たら教えてね。
しかぁしぃ・・案内看板まで作るならば、簡単な説明書きも有った方が良いのになぁ・・関係者の人見ていたら、何とかしてね。
「40年前に住職が亡くなり・・その後、ここを出て・・」と言うような事をブツブツ言うので、初めてオババが寺の奥さんだとわかり、聞いてみるとそうでした。
もしかしたらσ(*_*)が勝手に堂内に入ったのを見て、不審者と思って見に来たのかな?
それにしても寺の関係者ならば「比丘尼塚」の事を知っていても良さそうなものなんだが、話題作りのために最近作ったのじゃろか?・・謎は深まる。
オババはこの妙音寺が荒れているのも気になっており、子供が退職したら跡を継ぐような事を言ってるそうです。
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