弘前城へ向かい、追手門付近に「弘前市観光館」が有ったので、そこに入ってひとまず休憩し、さすが観光館だけあって「弘前ねぶた」が飾ってあります。
雨の中を追手門から弘前城敷地へ入ったが、本丸には上がらず、どこの城も中身は同じようなもんだと思ったもんでして・・・
弘前城・東門から出て「津軽藩ねぶた村」へ行ってみましたが、早い話が土産店で、あんまり大したこと無い。
むしろ隣設されてた地元産野菜等を売ってる方が良く、プラムが6個入り200円で安かった。
越後屋が「安物だから酸っぱいかもしれん。」と言ったが、買って食べると甘くて美味しかった・・。 さすが地場産!!
また、アイスクリームも60円で安く、普通ならば100円以上は取るだろおにぃ。
近くの「伝統的構造保存地区」へ行き、赤いポストが有る軒下通りは、いかにも昔風情の有る店が並んでいます。
通路が新潟県上越市・高田の「雁木」構造に似ており、雪国の豪雪地帯では、全国的にこのような「雁木」形式になっているのかな?。
道路に面した店先に、犬が箱に入っており、寝てるだけで吠えもせずにいるのが、何とも言えず平和的です。
「旧伊東・梅田家」へ行ってみると休みで、あちゃあぁ~・・・せっかく楽しみに来たのだがなぁ。
この付近の家は、それぞれ大きい黒門と生垣を持っており、武士階級の家だそうな。
それにしても全ての家が黒色の門になっており、自分勝手に赤とか・青とか・白とかの色には塗ってありまへん・・さすが、保存地区。
生け垣と共に落ち着いた風情の有る通りで、家から奏でる尺八・琴の音が微かに聞こえると、もっと情緒が有るだろなぁ。
通りを歩いてると「旧岩田家」が有り、ここも休みかと思ってたら開いており、しかも入場無料・・喜べ、タダでっせぇ。!(^^)!
家の中に係の人が居て、「どこから来たか?」を聞くだけで、後は自由に内部を見学して良かった。
今日はここまでとして「中央弘前駅」から電車に乗って帰りました。
翌日も雨だったので、車で木造校舎・廃校巡りと小泊にある「津軽33観音霊場」の18番札所「海満寺」へ行く事にしました。
この18番札所「海満寺」へ行くには交通手段が悪く、自転車で行く距離としては中途半端なのでズルする事にしたのです。
途中、津軽富士見湖の「鶴の舞橋」というカッコイイ名前の橋を見て・・・亀ケ岡の遮光器土偶が出土した遺跡にも寄ってみました。
大したこと無いよ・・という下調べでの前評判だったが、失礼ながらホンマに大した事が無い。
遺跡が出た構造物跡等が有るのかと思ったが、小さく公園化されており、遺跡の痕跡が全くありません。
遮光器土偶のモニュメントが無かったら、わからずに通り過ぎちまったでしょう。
それにしも、この遮光器土偶・・・当時の人は、よぉ~こんなデザインを考えついて、もんのすごい芸術的センスが有ったのだと思う。
小泊の町並みを、旧道を行けば良いものを、どうせチッコイ町だから「かんのんさま」の看板位は出ているだろおと思い、海側の道を走ったらわからんようになっちゃった。
そこらに居たオババに聞くと、反対方向だと教えられ、やっぱり行き過ぎたようで、旧道らしい道を走ってると、道端に「津軽33観音霊場の」18番札所「海満寺」がありました。
車の通りも少ない事だしい・・と思い、道端に車を止めて階段を上った正面が札所かと思ったら、観音堂は階段横の敷地内に併設されてました。
戸を開けると両側の壁に「津軽33観音霊場」納札がズラッ~・・・と結びつけてあり、これだけの人が、よぉ~訪れたもんだと思う。
正座して尺八を吹いてみると、昨日よりは音が出ているような気がして、越後屋に確かめてみると「疲れてないからだろお」と言い、そおかもしれない。
音が良かったので続けて2曲吹き、その間、越後屋はゴロンと寝ていました。
中央祭壇の両脇に、細長い枕のよおな物が天井から下がっており、鈴が一杯付いており、さすが津軽独特の風習・・・こんなのは始めて見たでぇ。
「ねぶた」で「ハネト」が付けている鈴が踊ってる時に落ちるように、これも鈴が一つ落ちる毎に、願いが成熟するのでしょうか?
それとも参拝人がこれを振って、鈴の音を鳴らすのでしょうか?、だれか知ってたら教えてね。
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