津軽33観音霊場の15番札所「薄市観音堂」は、うっかりすると通り過ぎちまう所らしく、行ってみるとホンマに通り過ぎるところでした。
何で通り過ぎちまうかと言うと、人家の間に鳥居が有り、前の道だけを見ていると横に有る鳥居を見つけられないからです。
幸い、こちとらは自転車でフラフラしながら行き、鳥居の前に軽トラまで停まってくれていたもんだから、最初に見た時は人家の庭先・敷地だと思いました。
それでも、ふと横を見ると、あららっ・・こんな所に鳥居が有る・・と、初めて見つける事ができたのです。
この鳥居を見つけれなかったら、たぶん集落外れまで行ってたでしょう。
鳥居を潜ると長い階段が有り・・わおっ!!・・だいぶ遠いらしく階段入口には杖まで置いてあります。
階段途中の鳥居が傾斜して立っており、ワザとなのか・・何かそれにまつわる、カナシイ云われがあるのか・・・
山道を行くとY字路の所に立札があり、「お願い 御参拝の皆様へ この参道は大変すべりやすくなっております ご注意ください」 おまけに「頭上落下に注意」とまで書いてある。
ふう~ぅん・・・この山道を行くのが正規な道なのかな?
先に行ってた越後屋がジサマと話していたので、挨拶して聞いてみると、山道は三十三観音の石仏が有り、すぐそこに見える小屋が15番「薄市観音堂」で、その裏へ回って出てくると言いました。
わざわざ石仏を見て遠回りする事も無いなぁ・・と思い、直接そのまま15番札所「薄市観音堂」へ行きました。
しかし、それならそおと書いておいてくれないと、σ(*_*)のようなマジメな人は山道の石仏を見てから観音堂へ行っちゃうでぇ。
15番「薄市観音堂」の戸が開いたので中に入ると、越後屋が太鼓をドンと1回叩き、へえぇぇ・・こいつは太鼓を叩いて拝む風習があったのかな?・・たぶん、する事も無いので、太鼓でも叩いてみようかと思ったのでしょう。
尺八を吹いて参拝してると、ジサマも観音堂へ入って来て後ろで聞いてました。
尺八参拝後、ジサマと話をすると・・・
昔の薄市観音堂は、祭壇付近までの大きさだったが、広く作り直した。
気が向いた時に、この裏に有る石仏33観音を歩いてる。
子供の頃は、ここが子供達の遊び場だった。
そおじゃろなぁ・・昔のガキ共にしたら、ここは良い遊び場だったろなぁ・・今は家に閉じこもってゲームしとるようだが・・遊び場つうモンは、ブランコ・滑り台が無くても、ええんじゃ。
むしろ、そんな物が無い方が良く、自然の場でガキ共が探検ゴッコしたり、山から転げ落ちたりした方が面白い。
境内からは麓の津軽平野が見え、ホントに子供たちの良い遊び場だったように思う。
ジサマと分かれて階段を降りて麓近くへ来ると、ちょうどバイクで来たトッツアンが上って来ます。
「観音巡りか?」と聞くと「弘前から来た。」と言い、ほほおぉぉ・・若い人でも「津軽33観音霊場」巡りするんだなぁ、ブームなんじゃろか?。
「これから竜飛方向へ行く。」と言うので「自転車で巡ってるので、途中で追い越してください。」と言って別れました。
階段を下りた鳥居の所に、大きいバイクが置いてあり、先程のトッツアンのでしょう。
大切にしてるんじゃろなぁ・・・新車同然でピカピカでした。
ここら付近の「神明宮」入口には、龍の看板を掲げるのが風習なんでしょうか?、先程の14番札所の「神明宮」にも同じようなのが掲げてありました。
16番札所「今泉観音堂」の「神明宮」狛犬には、今までと違って白い手ぬぐいの頬かむりではなく、赤い腰巻き・・あっ、違うかな?・・赤い布が被せてあります。
見方を変えれば「真智子巻き」風のマフラーという感じだが、若い人は知らんじゃろなぁ。
階段と山道を上がった所に堂が4・5個有り、どれが観音堂かわからんかったが、正面付近のが津軽33観音霊場の16番札所「今泉観音堂」でした。
堂内に入れたので尺八を吹いて参拝していると、先程のバイクのトッツアンが来ました。
それでもσ(*_*)の参拝が終わるまで、堂内に入らず外で待っており、終わった時には納札をかけて出ていきます。
おぉぉ・・礼儀も知っており、ちゃんと納札も持っていたのか・・しかし、賽銭を入れるのを忘れとったでぇ。
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