しばらく杉葉の積もった山道を行くと、やがて広場に着き、「東北自然歩道」の標識杭が有るので、逆方向から来る人の方が、このルートは分かり易いかもしれません。
その後は広々とした岩井牧場を見ながら、舗装道路をテクテク・・
牧場と言うからには牛が、あちこちにタムロしてるかと思ったが見当たらず、やっと遠くの方で群れているのが見えた。
三叉路には「かんのん様」の看板が出ており、さらに行った分かれ道にも「春日内観音堂」の石柱も建っています。
道に鳥居が立っており、そこからは少し坂道でしたが、やがて小屋が見えたと思ったら、それが津軽33観音霊場の17番札所「春日内観音堂」でした。
「春日内観音堂」側の小川?に、昔は朱色の太鼓橋が有ったのだろうが、今は朽ち果てた欄干の残骸が置いてあり、これほどの橋まで作ったのだから、昔は勢力が有ったのでしょう。
「春日内観音堂」は戸が閉まっていましたが、ヒモが結んであるだけだったので解いて中に入りました。
山側のためか、堂内はかなり湿気が来ており、尺八を一曲吹いて参拝。
外に出てパイプから水が出ている水源を探すと、山側に見える鳥居付近から通しているようで、水源を見ると岩から水が伝い落ちており、それほどの水量が落ちてるわけでは無いが、パイプの先からは、けっこうな勢いで水が出ていました。
付近の山には、33観音の石仏が有るらしいが、行きませんでした。
「春日内観音堂」を出て再び舗装道の急坂を上ると、唐川城跡の休息所が有り、牧場や大沼が展望できます。
休憩所からはズラズラと下り、「大沼」を一周するコースも有るようですが、それはヤンピして、近道ルート?を歩きました。
「東日流館橋」という「日本一の屋根付きの木橋」と注意書きしてある橋を渡りましたが、この橋を何と読むか、わかりますか?
ちなみに自分も、そのまま「ひがしひりゅう」かと思ってましたが、「東日流」と書いて「つがる」と読むらしいです。
しかし、どこをどう見ても「東日流」を「つがる」という風に読めまへんわなぁ・・さすが津軽独特・・・。
ここの麓付近の民家で、そのスジでは有名な「東日流外三郡誌」という古書が有り、発見されてたそうです。
古代史古書とか、怪しい伝説とか等に興味が有る人は、たいてい知ってる有名な書物で、σ(*_*)も、そおいう怪しい伝説とか、世間からウソこけぇ・・・と思われてる話とか、エッチな話とかが、もんのすごく大好きな人物なので、詳しい内容はわかりまへんが名前だけは知ってました。(^O^)
「東日流外三郡誌」古書を要約すれば、大和朝廷に弾圧された民族の文化が、この地を中心にして栄え、外国とも交易して広く発達していた・・・というものらしいですが、この本は偽書だと言われてます。
次いで「縄文の橋」を渡ると、橋で釣りをしてる人が居たので「何が釣れるか?」と聞くと、ブラックバスでした。
国道に出て、出発地の「安東文化シンボル塔」に着くと、付近を草刈りしている人が居て、「すんまへん、今、車をどこかします。」と謝ったが、「ええですよ」と言われて別に叱られなかった。
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