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津軽 東日流 巡礼日 2012.7.29    掲載日 2013.4.29

「東日流」の読み方/津軽33観音霊場記(春日内観音堂)

東北自然歩道、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文     東北自然歩道、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文    東北自然歩道、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 しばらく杉葉の積もった山道を行くと、やがて広場に着き、「東北自然歩道」の標識杭が有るので、逆方向から来る人の方が、このルートは分かり易いかもしれません。

 その後は広々とした岩井牧場を見ながら、舗装道路をテクテク・・

岩井牧場     東北自然歩道、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文     東北自然歩道、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 牧場と言うからには牛が、あちこちにタムロしてるかと思ったが見当たらず、やっと遠くの方で群れているのが見えた。

 三叉路には「かんのん様」の看板が出ており、さらに行った分かれ道にも「春日内観音堂」の石柱も建っています。

津軽33観音 春日内観音堂      津軽33観音 春日内観音堂      春日内観音堂、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 道に鳥居が立っており、そこからは少し坂道でしたが、やがて小屋が見えたと思ったら、それが津軽33観音霊場の17番札所「春日内観音堂」でした。春日内観音堂、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 「春日内観音堂」側の小川?に、昔は朱色の太鼓橋が有ったのだろうが、今は朽ち果てた欄干の残骸が置いてあり、これほどの橋まで作ったのだから、昔は勢力が有ったのでしょう。

 「春日内観音堂」は戸が閉まっていましたが、ヒモが結んであるだけだったので解いて中に入りました。

 山側のためか、堂内はかなり湿気が来ており、尺八を一曲吹いて参拝。

 外に出てパイプから水が出ている水源を探すと、山側に見える鳥居付近から通しているようで、水源を見ると岩から水が伝い落ちており、それほどの水量が落ちてるわけでは無いが、パイプの先からは、けっこうな勢いで水が出ていました。

 付近の山には、33観音の石仏が有るらしいが、行きませんでした。

津軽33観音 春日内観音堂唐川城跡唐川城跡からの展望
大沼へ向かって、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文    大沼公園 案内図
東日流館橋
 「春日内観音堂」を出て再び舗装道の急坂を上ると、唐川城跡の休息所が有り、牧場や大沼が展望できます。

 休憩所からはズラズラと下り、「大沼」を一周するコースも有るようですが、それはヤンピして、近道ルート?を歩きました。

 「東日流館橋」という「日本一の屋根付きの木橋」と注意書きしてある橋を渡りましたが、この橋を何と読むか、わかりますか?縄文の橋

 ちなみに自分も、そのまま「ひがしひりゅう」かと思ってましたが、「東日流」と書いて「つがる」と読むらしいです。

 しかし、どこをどう見ても「東日流」を「つがる」という風に読めまへんわなぁ・・さすが津軽独特・・・。大沼

 ここの麓付近の民家で、そのスジでは有名な「東日流外三郡誌」という古書が有り、発見されてたそうです。

 古代史古書とか、怪しい伝説とか等に興味が有る人は、たいてい知ってる有名な書物で、σ(*_*)も、そおいう怪しい伝説とか、世間からウソこけぇ・・・と思われてる話とか、エッチな話とかが、もんのすごく大好きな人物なので、詳しい内容はわかりまへんが名前だけは知ってました。(^O^)安東文化シンボル塔

 「東日流外三郡誌」古書を要約すれば、大和朝廷に弾圧された民族の文化が、この地を中心にして栄え、外国とも交易して広く発達していた・・・というものらしいですが、この本は偽書だと言われてます。

 次いで「縄文の橋」を渡ると、橋で釣りをしてる人が居たので「何が釣れるか?」と聞くと、ブラックバスでした。

 国道に出て、出発地の「安東文化シンボル塔」に着くと、付近を草刈りしている人が居て、「すんまへん、今、車をどこかします。」と謝ったが、「ええですよ」と言われて別に叱られなかった。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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