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巡礼日 2012.7.31 掲載日 2013.5.9
翌朝、油川駅を7時頃に出た時は、すでに暑くなっており、それでも住宅等の日陰部分を走ると少しは涼しい。
青森市内・・・合同庁舎・市役所までは無事に行けたが、「津軽33観音霊場」の22番札所「正覚寺」の場所がわからない。
事前に青森市内の地図を印刷しておいたのだが、車の中に忘れてきちゃった。
一応、この辺だろう・・と頭の中で地図を思い浮かべながら、脇道へ入った所の寺へ行ってみたら違っており、この付近は何でか知らんが寺が多いんだよね。
通りすがりの女の人に22番「正覚寺」を聞くと近くで、日本的な山門ではなく、西洋風の入口正門は閉まってます。
当然ながら寺も西洋風で、看板を見なかったら何かの会館かと思い、入口玄関扉も閉まってます。
まだ時間が早いからなぁ・・なんせ8時半頃だもん、役所でさえ9時でないと開かないからなぁ。
9時頃まで待つほど信心が無いので、閉まってる玄関扉の前で尺八を吹いて参拝したが、大きい庇が有ったためか響きは良かった。
納札を付ける所が無いので、賽銭の五円玉に納札をつけて、扉の取っ手に置いときました。
境内を見物していると・・それ程、見る物も無かったが・・そのうち坊さんなのか、係りの人かわからんが、西洋風正門扉を開けたが、会館風扉までは開けません。
もし開けたら、野次馬コンジョで中を拝見したのだが・・・ロビー風の造りなので、尺八を吹いたら、さぞかしエコーが利いただろなあ。
次の23番札所「夢宅寺」が有る「浅虫」へ向かって、暑い中を自転車を漕ぎました。
「浅虫」近くのトンネル前に説明看板が有ったので読んでみると、ここは「善知鳥崎」という所で「新潟・親不知に匹敵する難所だった・・うんぬん・・」
ええっ?・・そおなの?・・こんな陸奥湾に囲まれて波が静かそうな所なのに難所なの?。
そりゃあぁ~「親不知」は波の静かな時も有るが、たいていは日本海の荒波が打ち寄せて、旅人は波間の周期を見て海岸伝いに走り渡ったと云われてる難所なのだが・・・。
失礼ながら「親不知」を実際に車で何度も見て通ったり、「越後33観音霊場巡り」で「親不知」を歩いた経験から比較すると、波の強さとか渡る距離的にも、どおしても「善知鳥崎」の方が孫か曾孫くらいカワイらしく、とても難所だと思えない・・すんまへん、叱らないでね。
1年ぶりの浅虫は、「田名部海辺33観音霊場(下北霊場)」以来で懐かしいでんなぁ。
「道の駅」に入って、まずは一休み(「道の駅」は逆光のため、撮りませんでした。m(_ _)m)
津軽33観音霊場の23番札所「夢宅寺」へ行くには、途中の川付近で横道へ入らにゃアカンのだが見落としちまい、通りかかったオバハンに聞くと、すぐ後ろにその横道が有った。(^O^)
鉄道下のトンネルを通り、狭い道を行くと山門が有り、側には木の丸太を彫った「ねこ?」が置いてあり、シンプルな彫りながらも面白い作りだと思う。
23番「夢宅寺」堂内に入れて、壁際には納札がギッシリ結んであります。
納札をなかなか目立つ所へ付けれなかったので、真ん中付近に付けときました。
「慶応四年」の奉納額が有り、女の人が立って何かを見ている絵と、ズラズラ~・・・と「くずし字」が書いてありますが 各行の下に「雅号」のようなのが書いてあるので俳句かな?
ちなみに、この「慶応四年」という年は、江戸時代最後の元号で、この年に明治に切り替わったそうです。
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