浪岡駅を7時半頃に出て、津軽三十三観音・25番札所「松倉観音堂(松倉神社)」へ向かって自転車で出発、病院付近までは坂がキツかったが、後は平坦。
順調に「高野」まで来たので神社で一休みした後、廃校「東小学校」へ寄り「前田野目」まで順調に行き、それほど自転車の押し歩きは無かった。
国道101号線自動車道のガード下を潜った付近から、舗装道が砂利道になり、さすがにこれは予想してなく、しかし暑い盛りなので木陰沿いと、ノドカな風景が有り良いと思う。
自転車を漕いでいて、この道は当初計画していた道ではなく、右隣の山沿いの道だと気付いたが、同じ所へ出るので、そのまま走り、計画していた道と合流しても、やはり砂利道でした。
タンボで農機具を洗っているトッツアンに「この道は、松倉神社で良いのか?」聞くと、「良いけれど、右へ行く道は違う・・神社がどうたら・・こうたら・・・」と方言で細かく説明してくれたが、スマン・・方言がよぉ~わからん。
それでも、わかったフリして礼を言い、少し行くとY字路になっており、「松倉神社へ」の看板が有り、トッツアンは、この事を言ってたのだと思う。
砂利道は思ったほど押し歩きをしなくても良かったが、しばらく行くと、またY字路になっており、先に行ってる越後屋が待ってるかと思ったが居ません。
こおいう、どちらへ行くか等の不確かな場合は、そこで待つ・・という事にしていたのだが・・・・
道路の土を見ると、自転車のタイヤ跡が続いていたので、その先へ行ったのがわかり、これが舗装道路だったらタイヤ跡が見つけられなかったろおなぁ。
ネットで調べた時に「横への道を行く」と書いてあったように思い、右側の道へ行くのではないかなぁ・・電柱も立っているしぃ、舗装もされてるしぃ・・・(実際は「青年の道」らしかった)
とにかく越後屋を呼び戻してやらんとモンク垂れると思い、その場で「お~い」と大声で呼んだが返事がありまへん。
よっぽど声の届かない先まで行ったのか・・まいったなぁ・・ここで迷子になったらキツイでぇ。
いえね・・離ればなれになってもいいんです・・それも運命と思い、その後はそれぞれシアワセな人生を歩めれば・・ただね・・・後で「ギャアコラ・・」とモンク垂れられるのが困るんだよねぇ。
しかたなく自転車をそこに置いて、呼びながら歩いてると、やがて自転車に乗った越後屋が来ました。
聞いて見ると「少し先に「油発掘跡」が有り、「前田野目」で見た案内図では、その発掘跡から先に松倉神社が有る事になっている」と言いますが、その案内図がどこに有ったのか自分は見てないので、何とも言えない。
「アタイも案内図を見てなかったら、舗装道路の道が松倉神社へ行く道だと思ったかもしれん・・たぶん、その道は「青春の道」だと思う。」
油発掘場所へ一緒に行ってみると、看板もしっかりしており、越後屋が正しいかもしれんと思い、その場から自転車を取りに戻り、越後屋はさらに前進偵察を続行する事にした。
自転車を押し歩いてると越後屋が来て「その先に神社が有る」と言うので越後屋が正解で、もし知らずに「青春の道」へ行ってたら、大泣きしてたところだった。
できれば、そこのY字路にも看板を設置してくれれば、σ(*_*)のように無用な勘違いをする人もいないのにぃ。
もう少しで、とっくの昔に「愛」が干からびて枯れちまい、どおかするとカビが生えてるような老夫婦が離ればなれになり、それぞれシアワセな余生を送るところだったでぇ。
行止りの駐車場には車が1台止まっており、自転車を置きました。
松倉神社入口の橋を渡って小川に下り、持ってきた凍ったペットボトルのお茶に、水を加えたら、もんのすごく冷たく、この際味なんて、どおでも良く冷たけりゃいいんじゃ。(^O^)
側の赤い鳥居で少し休息し、山道を歩いて上って行くと33観音の石仏が頂上まで続いており、けっこうキツイ山道なので、10番・20番の石仏を目安に休息しながら上りました。
津軽三十三観音・25番「松倉観音堂(松倉神社)」の建物が見え、境内にある狛犬付近に登山をして来たのか、珍しくオバハンが二人居たので、挨拶しようと思って近寄ったら服を着せた石仏だった。
こいつめぇ・・・笑わせやがってぇ・・・・
一瞬オババが立ち話しながら「聞いてくれ、最近の若いモンはわからん・・オラとこのヨメが・・」とヨメの悪口でも言い合ってるのかと思ったでぇ。(^O^)
疲れていたので椅子に座って参拝しましたが、帰ってから調べると、この25番「松倉観音堂」裏から続く道が有るらしく、崖に祠が有ったらしいですねぇ。
駐車場からの砂利道を一気に自転車で「前田野目」へ行き、問題の案内図を見たが、よお~わからん案内図ですなぁ。
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