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 魚野川、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  H20.7.6 巡礼  H22.4.28 UP


塩沢の木喰上人・微笑仏/越後33観音霊場・只一人

塩沢

塩沢駅前、「越後33観音霊場」只一人・紀行文   塩沢町、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    塩沢、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 今日も暑くなりそうだなぁと思いながら、塩沢駅を6時半頃に出発。

 ここ塩沢は「北越雪譜」という書物を書いた鈴木牧之という人が生まれた場所らしく、駅前のアーチに「北越雪譜の鈴木牧之生誕地 この先500m左折」と歓迎の看板と共に紹介されてます。塩沢・前島橋、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 正直言ってσ(*_*)は学の無い人間なので「北越雪譜」とか「鈴木牧之」と言われても、よぉ~わかりません。

 調べてみると、江戸時代の人で「温かい地方に住んでる人達に対して、雪国の生活がタイヘンだという事を紹介する」という内容の書物らしいが行きまへんでした。

 テクテクと次の「越後33観音霊場」の札所「大福寺」へ歩いてると、だんだん暑くなり・・・魚野川に掛かる前島橋付近で、「あっ、そうだった。暑くなりそうだから駅を出る時にシャツを脱いで行こうと思ってたのを、ボオッ~としていて忘れてた。」と思い出した。

観音堂の木喰上人・微笑仏

 どこか適当な神社か日陰が有ったら、シャツを脱ごうと思いながら歩いてると、ちょうど良いあんばいに道端に、チッコイお堂がありました。観音堂、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 これ幸いとお堂へ行くと、扉が開いており、荷物を降ろしてシャツを脱ぎながら付近を見渡すと、堂の入口柱に「札打ち」の釘跡が残っております。

 この「札打ちの釘跡」は秩父33観音霊場を巡った時に見た事が有ったので、すぐにわかりました。観音堂・釘跡、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 おぉぉ・・珍しいなぁ、「札打ちの釘跡」なんか有る所なんて・・・・

 こおいう物が残ってる箇所ちゅうもんは、よっぽど歴史的にも有名な場所か、ジジババが涙が流すほどアリガタアァ~ァイ云われの有る本尊さんが有る所だと思うが・・

 改めてお堂を見直すと、それなりに年季が入ってそうですが、歴史に名を残してる程の古さでもなく、入口を見てもお堂の表札が架かってまへん。

 堂内に入ってみると、それなりに薄暗くホコリっぽい板の間があり、板が一枚外れてるし・・観音堂・内部、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 賽銭を入れてから正面の本尊さんが、どんなお方かと拝見すると・・・ん?・・・この彫刻の仕方、掘り具合、顔の表情の特徴といい・・ヒョットしたら、写真で見た事のある木喰上人の作ではねぇかな?

 たしか、この付近のどこか片田舎に円空の作品がゴッテリ有るとは調べていたが、まさかそのタグイの木喰上人の作品がここに有るとは・・・

 ふと、賽銭箱を見ると、その横にしっかりと「木喰五行菩薩遺作 聖観世音大士」と達筆な墨で書いてあり・・うわあぁぁ・・すげえぇぇぇ・・・!!

 こんな有名な人の作品、間近でホンモノを見るのは始めてだどおぉぉぉ・・しかも、入場料も払わずに、タダで・・・さっそく見たという証拠の写真を・・パチリ。観音堂・賽銭箱、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 しかし本尊さんは金網にシッカリとガードされているので、細かい金網の目がフラッシュで光ってジャマになり、なかなか上手く撮れず、仕方なく適当に4・5枚撮りました。

 その頃、朝早くから近くの畦道で付近住民が集まって防災訓練をしていたようですが解散になったらしく、σ(*_*)がお堂を出た時に、住民達がゾロゾロと家へ帰るのと出会いました。

 たぶん住民達もこんな朝早くから、こいつ何しとるんじゃ・・と思った事でしょう。

 怪しいモンじゃ無い事を証明するため、こちらから挨拶して中の本尊さんの事を聞くと、「木喰上人の作で、東京からも調べに来た。」

 「金網が張ってあり、うまく写真が撮れまへんでした。」
 「8月に祭りが有るので、その時は金網を外して見れる。他の日でも(参拝者の)人数が多い時は、区長が鍵を持ってるので開ける。」

 さぞや言われの有る名前の堂だろおと思って尋ねると「別に無いなぁ・・ただの観音堂と呼んでるが・・」

 別のジサマが話しかけて来て歩きにがら話しをすると観音堂・微笑仏、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「子供の頃は、中の物(仏さん)を投げたりして遊んでいた。10年くらい前に、全国的に仏像が盗まれる事が多くなったので金網をつけた。」

 木喰・円空の仏像は、立派な寺の奥に収まって線香に炊かれて鎮座してるよりも、地元のジャリ共の遊び道具として使われてた事も多いというのも、事前調査で知っておりました。

 σ(*_*)は寺で御簾の中に隠されている、「秘仏」という云うのが好きではない。

 見る事も出来ず、どのような仏さんかわからんのに、ハハアァァァ~・・と丁寧に拝まれる秘仏よりも、ジャリ共の遊び道具になって欠けさせた物の方が親しみが有り、作った人の気持ちに通じるような気がする。

 仏像を作った人達は、御簾に隠されて拝まれるのを望んでいたのだろおか?、木喰上人の作った仏像は、微笑んでる表情が特徴らしく、別名「微笑仏」と言われてるらしい。

  観音堂・木喰上人・微笑仏、「越後33観音霊場」只一人・紀行文 地図にはお堂の印も無く、また堂には微笑仏の存在を示す看板も有りまへん。

 帰ってからネットで、この観音堂の事を調べましたが、記載されているHPは見つける事ができず無名の堂のよおです。

 しかしこの木喰上人の微笑仏は、今まで通り縁有る人が訪ねれば良く、世に知られる事も無く、ホコリっぽい板張りの部屋に奉られている方が良いように思う。

 塩沢駅を出発した時に、もしシャツを脱いでいたら、このお堂を一瞥しただけで通り過ぎ、中にある木喰上人の微笑仏の存在さえ知らなかったと思う、これも「縁」でっしゃろなぁ。

 今日の巡礼は、この微笑仏に出会うためシャツを脱ぎ忘れたのかもしれない。

 木喰上人は何を考え、どんな思いをしながら、ここへ到達して、像を刻み、どこへ去って行ったのでしょう・・ロマンが有りますねぇ。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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