H21.7.2 巡礼 H22.9.4 UP
見附市内を通り過ぎ「城山」麓を巡る旧道へ入り、集落入口の道端にお堂が有ったので一休みして、中を拝見すると地蔵さんかな?と思ったが墓石のような形をしてます。
個人の墓かな?とも思ったが堂の木造部分が古い木を使って改修した跡があり、いくら何でも墓には、このような堂は建てないじゃろおなぁ。
たいていは地蔵さんか、石仏を置いて有るもんだが、こんな形をしたのを奉ってあるのは始めて見た。
お堂は三方が開いており風通しは良いが、雨風の野宿時はどおかな?と、いらん事を気にした。
20分ほど休憩して、旧道のノドカナ道をテクテク・・・やっぱし車が走り回る市内よりも、歩くのは旧道に限る。
やがて道がY路地になり、そのまま真っ直ぐの左側へ行き掛けたが、フト思い直して地図を確認すると
右側に行った方が近いのがわかった。
行きづりのオババに「不動院」の場所を尋ねると親切に教えてくれ、なんせ「トビ峠」で、せっかくトッツアンが居たのに、わかるだろおと尋ねずに行ったら峠道がわからず、ドエライ目にあったので、あれ以来、わからん初めての場所は、なるべく人に聞いて確かめるようにした。
「不動院」近くの小川で遊んでる二人の子供と目が合ったので「こんちわ」と声を掛けると、元気な声で挨拶を返して来ます。
ここら辺の子供は、学校で知らない人に出会った時は、たとえ小汚いジジイにでも、ちゃんと挨拶しろと躾されているのかもしれない。
越後33観音霊場の17番札所「不動院」入口にキレイな透き通った清水が湧いており、飲んでみると冷たくて美味かった。 実に甘露、カンロ・・・生き返ったでぇ。
名水になってるのかわかりませんが、もし成ってないのならば、これも名水の一つにしても良いような気がして、「巡礼生き返りの清水」という名前でも付けちゃう。
「不動院」山門には、ホコリが被った仁王さんがガンバッテおり、どこの寺の仁王さんもホコリが被ってますなぁ・・一年に一度くらいはホコリを払えばええのにぃ。
山門の真ん中に香楼が有り、その横に線香が置いてありったので、せっかくなので久々に線香に火を点けてみる気になり、四国遍路以来のような気がする。
尺八も吹くので、この寺から出るまでに線香は燃えつきるだろお・・・なんせ線香が燃え尽きるまで、寺に居るのが礼儀と聞いてるから。
越後33観音霊場の「不動院」観音堂は階段を上がった所に在り、堂の彫刻もそれなりに立派なもので、外部周囲には十二支の彫刻がしてあります。
扉が開いてるので堂内に入り2曲吹いたが、風が通らないので汗がダラダラ出た。
「観音堂」内はそれほど反響しなかったので響きは無かったが、それでも素直な気持ちで吹ける所でした・・今まで素直じゃなかったのかと、突っ込まれると困るが・・・
壁には会津33観音霊場と同じような様式の納札が貼ってあります。
寺等では千社札を貼られるのをイヤがられていますが、巡礼する立場の者としては納札は貼らせて欲しく、会津33観音霊場のように貼る場所を掲示板のような形で作ってくれたらアリガタイと思う。
納札を眺めてみると、平成に入ってからの納札で、やっぱし50才代以上のオバハンが多いよおでんなぁ。
観音堂の脇にある「不動明王堂」には、不動明王の石仏が四体入っており、その横に有る蛇口側にもチッコイ不動明王の石仏があった。
この「不動院」の名前の云われは、たぶんこの辺から出ているとは思うが、それにしては観音堂と比べると、ちと冷遇されてるようにも思う。
「不動院」から出ると、塾にでも行くのか4人連れの子供達と出会い、それぞれ大きい声で挨拶してくれ、ワァワァと話しながらバス停まで歩いて行きました。
知らない人にでも会えば挨拶させるとは、今時なかなか出来てる学校じゃなぁ。
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