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白山神社、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  H22.6.1 巡礼    H23.1.15 UP


拉致事件現場の「護国・白山」神社/越後33観音霊場・只一人

慰霊塔・護国神社

 西海岸公園より「護国神社」横から境内に入ると、ゴミ収集の檻のような訳の分からん施設が有り、付近に「平和の礎」という看板があります。 護国神社・平和の礎、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 ううむうぅぅ・・言っちゃあぁ悪いが場所的に雰囲気が暗く、著名な人がデザインしたのだろおけれど、もおちっと何とかそれらしいのを考えられなかったのかなぁ。

 看板によると「塔」は「護国の柱」を表し散華された人々を象徴、「塔の前の礎」は「平和」を表し、「像」の右側が女性像で「祈り」、左側が男性で「誓い」」を表しているらしい。

 話しは少し代わりますが、σ(*_*)が遠洋航海で船に乗ってサイパンを訪れた時、バンザイクリフに日本人が建てた戦没者慰霊碑の「太平洋之塔」という、四角の形をした2つの塔がありました。護国神社、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 現地の案内人が塔の説明をして、最後に「日本から来た観光客の人達、この塔を見ても拝まない。写真撮って行くだけ。ぜひ拝んでください。」と言います。

 日本人が「戦没慰霊者に哀悼の意を表しましょう」と言うのならば、まだわかりますが、戦場となった現地の人から、そのように言われた事に恥ずかしく思った。

 案内人に、このシンボルは何を表しているのかと尋ねると「2つの像は、膝まづいて祈ってる親子を表している。」と言い、膝まづいて手を合わせるカッコウをし、言われて見ると像はそれを表してるように見えました。護国神社、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 話しを戻して・・護国神社の本殿正面の鳥居横に掲示板が有り、「ご英霊の言の葉」の件名で「かあちゃんよ」と題して、戦地に赴く時、家族に当てた手紙の内容が展示されており、特別攻撃隊で比島方面で21才で戦死。

 この21才という若さが、何ともいえずカワイソーに思い、今の時世での21才ならば、人生の一番面白い時期であり、青春のまっ最中なのに・・・。

 境内には、ほとんど人が居なく、本殿前で尺八吹いて参拝してる時に、二人だけ参拝に来ました。護国神社・迎賓館、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 一曲を吹き終わり、次の曲を吹くために呼吸を整えて居る時、本殿室内の扉が開き巫女さんが横切って行きます。

 尺八を吹いてる時に扉の開く音がしましたが、σ(*_*)が尺八吹いて参拝してたもんだから横切るのをためらい、吹き終わるのを待ってたような気がする。

 すんまへんねぇ、気つかわせちまって・・・

 境内には珍しい明治風の建物が有り、後で調べたら「迎賓館」だそうです。

北朝鮮による拉致現場

 もう一度話しは代わりますが・・実はこの「護国神社」付近は今から30数年前、近くの「寄居中学」までの道のどこかで、当時中学1年生だった「横田めぐみ」さんが北朝鮮に拉致された現場です。護国神社、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 拉致されて以来、30数年間、今も望郷の念に耐えながら日本からの救出を待ち続けてるのでしょう。

 最近の話題として、拉致された人やその家族を見捨てて、反日教育をしている北朝鮮の朝鮮学校に対して、授業料の無償援助してやろおとしており、人さらいの国に追い銭をくれてやるような「民主党」は、いったいどこの国のための政党なのだろう?

 後年、長野県の松代大本営「象山地下壕」へ行った時、そこの自称「お金を貰うボランティァ」という案内人が、拉致事件に触れ「戦時中、多くの朝鮮人を強制的に日本に連れて来て労働させたので、拉致事件が有っても日本政府は何も言えなかった。」とウソを言っております。

 佐渡から曽我さんが拉致された頃、σ(*_*)は佐渡・両津に住んでおり、その頃に生まれた息子は、今30数才。

 幼い頃、蘇我さんが拉致された真野の海岸で遊ばせてやった事もあります。

 当時、佐渡では行方不明になった人が居る・・人さらいが居る・・というウワサを聞いた事があり、一歩間違えば、σ(*_*)達が北朝鮮へ拉致されていたのかもしれず、拉致事件は、とても他人事とは思えない。

白山神社

白山神社、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  白山神社・巫女さん、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  白山神社、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 護国神社を出て狭い道を白山神社へ向かいましたが、よぉ~場所がわからず、2度ほど人に道を尋ねながら行きました。白山神社、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 白山神社に着いたのは5時頃で、神社も店仕舞いする時刻だろおと思ってると、本殿前に巫女さんが立っております。

 ほほおぉぉ・・この白山神社は、参拝客の介添えするために巫女さんを配置しとるんかな?、サービスがええなぁ、こんなの始めてだでぇ。!(^^)!

 尺八持って本殿前へ行くと、室内側の賽銭箱両脇に巫女さんが座ってます。白山神社、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 おぉぉぉ・・・こんなに巫女さんがアチコチにお目にかかれる神社は始めてだ、さすが古来から有る神社は違うなぁ。

 外に立ってる介添え役と思ってた巫女さんに「尺八を吹いて献笛をしても宜しいでしょうか?」と聞くと「えっ?」と聞き返します。

 そおじゃろなぁ、こんな珍しい事をする人間なんて100年に一度くらいしか現れんじゃろからなぁ・・もお一度同じ事を言うと、わかって了解してくれました。白山神社、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 室内側の賽銭箱付近で参拝すると、両脇に座ってガンバッテる巫女さんのすぐ近くで、わざと尺八を聞かせるような形になるので、室内から離れた階段の賽銭箱付近で参拝しました。


 尺八を吹き始めると、室内側賽銭箱付近で参拝しようとした人がビックリしてこちらを向き、あわてて横に移動し、あらあぁ・・移動せず、そのままでもええのにぃ。

 二曲目を吹いてる時、前に居る参拝客を見ながら「この気分は托鉢してた時のような気分と良く似ているなぁ」と思った。白山神社・地蔵、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 四国遍路で寺の門前で托鉢した時、参拝客が尺八を聞くでも無く、無視されてるというか、各自自分の参拝に熱中しとると言うか、そんな雰囲気の時が有り、上手く例えれまへんが、そんな感じです。

 参拝が終わったら、それを待ってたのか立っていた介添えの巫女さんが賽銭箱の中身を集め始め、室内の両側の巫女さんも賽銭を回収し始めました。白山公園、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 あららあぁぁ・・5時過ぎたので、先程から賽銭を集めるため巫女さん達が集まって待っていたのね、そおとも知らずに延々と尺八吹いて、悪い事しちゃったなぁ。

 「白山神社」境内には、地蔵さんが一体奉ってありましたが、どんな云われが有るのでしょう? だれか知っていたら教えてね。

 今日の巡礼はここまでなので、白山駅に向かいましたが、これまた道がよぉ~わかりまへん。 白山駅、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 ビル前に郵便局の集配車が止まっていたので、駅までの道を尋ねようと思いましたが、σ(*_*)が郵便配達してた時は、個人情報保護だとかで、聞かれても個人の家は教えたらアカン事になってました。

 果たして教えてくれるかな? σ(*_*)だったら教えるんだが・・駅のような公共施設だから教えてくれるだろおと思い尋ねると、親切に教えてくれましたが、白山駅へ行くまでの道筋がややこしくて説明しにくいようでした。

 教えられて行来ましたが、確かに始めて白山駅へ行く者には、難しい道だなぁと思った。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



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