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2019/3/26 巡礼
1年余りの期間を経て「西国33観音霊場」巡礼を再開し、車中泊した「四所駅」より前回終わった宮津駅まで汽車で行きました。
宮津駅を8時頃出発したが、線路を越える道を早々に一本間違えちまった。
県道45号線を歩いてると「皆原」集落無いに旧道が有るのに気づいたが、すぐ終わるだろうと思って行かなかった。
ところがけっこう長い距離で旧道が有り、しかもいかにも街道らしい町並みだったので、「皆原」集落の終わり頃に旧道へ入ってみると、やはり昔の雰囲気が残っており、もう少し早くから旧道を歩いておけば良かった。
なんで地図には、この旧道を歩くようにしなかったのだろう。
「皆原」集落が終わった頃、道端に右翼の街宣車が置いてあり、おぉぉ・・京都府は左がかった人が多いのにガンバッテますなぁ。
「日の丸」の絵に「返せ!!北方領土」「生きて帰らぬ強者が死地に飛び立つ特攻機」と書いてあります。
ううむうぅぅ・・・どうせ書くならば、最近の世相を入れて「ウットオシイ韓国と即時国交断絶」「竹島とブツゾーを返せ」「尖閣諸島の領海侵犯を許さず」も書いておけば、もおチット世間の皆さまから拍手がもらえるのにぃ。
ちなみに今回の旅行で「道の駅」トイレを利用した時、日本語・英語・中国語・ハングル文字でトイレの水を流す説明書きがされてました。
しかし、その中でハングル文字の所だけ×印でキズを付けられており、それを見て隣国を嫌っている人が多いんだなぁと思わず笑った。
以前に、どこかの「道の駅」でもハングル文字で書いた説明箇所だけが、ペンキで塗り潰されていたというのを聞いた事がある。
マスゴミがどんなに「日韓友好」を煽っても、今までガマンを重ねて沈黙していた世間の嫌韓の流れは止まらず、増々拡大して行くよおです。
「山中」集落入って道端で一休み、近くで犬を連れたオババが居たので軽く挨拶した。
「山中」集落の道端に六地蔵が置いてあり、その光背は韓国の人達に言わせると「戦犯旗」と大騒ぎする完全なる「旭日旗」模様になっており、こんな地蔵さんが六体も有るのを見ると、かの国の人達は気が狂うのではないかと心配しながら笑ってしまう。
道標もあり「栗田」と書いてあり、地図を見ると山越えして海側へ出る道のよおです。
少し行くと「和泉式部の墓」の看板が有り、へえぇぇ・・こんなところで泉式部は死んだのか・・と思ったが、しかし待てよ・・・確か「出雲33観音霊場」を巡った時にも墓が有ったなぁ。
和泉式部の墓は全国アタコチに有るらしいですが、その理由は上記リンク元に書いてありますので、ヒマと興味の有る人はクリックして読んで下さい。
この「山中」集落は、小さいながらも昔から有る集落のよおです。
「山中」集落外れの少し上り坂になってる所を歩くと、道の中央に無慈悲な「前面通行止」の看板が・・・アッチャアァァァァ~・・・。
ちょうど先ほど挨拶した犬を連れたオババが居たので、通行止めの内容を聞くと、「少し先で道が崩れており車はダメだが、歩くのならば道の端を歩けば通れると思う」と言います。
ついでに「山中」集落から旧道と思われる「新宮」へ行く道の状況を尋ねると、やはり「確かに新宮へ行く旧道だが、今はだれも通ってないから行けない。」と予想通りの回答。
国土地理院の地図の道を見ると、最初は実線の道ですが最後所で破線になっているので、破線の道は通れない可能性が有るので旧道を行くのは止めていたのです。
オババに礼を言い、ついでに犬の写真も記念に撮った。
鉄パイプを跨いで行ってみると道が大きく崩れており、こりゃあぁ~車は完全に通れないわなぁ・・でも、オババの言うように、山側の側溝箇所付近だけが歩けました。
もしも側溝箇所も歩けなかったら、手前から山を回り込んで向こう側へ行くのは難しそうなので、その時は無理してでも「山中」集落の旧道を通っていたと思う。
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