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2019/3/26 旅行
テクテク歩いて由良川に架かる「大川橋」近くに来ました。
この「大川橋」は、今まで何度も車で渡った事が有るのですが、橋に歩道が有ったのか記憶になく、けっこう車の交通量が多いので歩道が無かったら、オトロシイなぁ・・と思っていたんです。
でも心配する事なく、橋の両側に立派な歩道が有りました。
なだらかな「滝尻峠」を越え、国道沿いに小屋と地蔵さんが立っていますが、車も走り回ってるし、疲れているので、わざわざ確認に行かなかった。
これを書いてる時に調べてみると、「一杯水」と言われて清水が出てたらしく、近くに「念仏峠」の処刑場が有って罪人が最後の水を飲んだのが云われらしい・・ホンマかどうかわからんが。
「宮舞線」を渡る橋から今日の終着地「四所駅」を見ると、ちょうど電車が出る所だった。
「四所駅」で今日の行程を終えて時間が有ったので、舞鶴市の「海上保安学校」と「引揚記念館」に車で行きました。
実は、自分はこんな顔していますが50年ほど前に「海上保安学校」を卒業しており、今回訪問した「海上保安学校」を当時と比較して別掲載しましたので見てください。
その後へ、「舞鶴引揚記念館」へ行く前に「引揚桟橋」へ行きましたが、正直言って「引揚桟橋」はキレイに整備され過ぎており、失礼ながら涙が出て来るほどの情景ではなかった。
引揚桟橋がそこだったというだけなので、仕方がないかもしれない。
「舞鶴引揚記念館」へ行ってみると、50年前は何も無い小高い丘にベンチがポツンと有った程度でしたが、来てみるとこれまたキレイに整備されており、昔の面影は今いづこ。
300円払って入場し、写真撮影はダメと表示してない限りはOKでした。
入ってすぐの足元にシベリア収容所の地図があり、思った以上に広範囲に存在してたよおです。
展示品を見ていると途中からオババが来て説明してくれましたが、正直言って自分のペースで見学したいので、あんまり説明は必要でなく、他の客が来た時にソオッ~と離れました。
展示品に尺八が二本有り、よっぽど頼んで吹かせてもらおうかと思ったが、ダメだろなぁと思って言わなかった。
知らなかったのですが、引揚者が乗った「興安丸」が岸壁を離れると、それまで抑留者が飼って居た黒犬が海に飛び込んで船の後を追い、それに気付いた船長が船を止めて、犬を乗せたという話があったそおです。
「舞鶴引揚記念館」を見終わった時、何か物足りない気がした。
そおですがなぁ・・・ソ連が抑留者を赤化教育して日本を共産化させようとした事で、これ無くしてシベリア抑留者が受けた悲劇は語れないのに、何故かそのような専属コーナは無かった。
自分が気付かなかっただけかもしれないが、実を言うとこの記念館に来た第一目的は、ソ連の赤化教育を実施した詳しい資料等が有るだろおと思っていたのです。
確かに抑留された人の資料等は有り、「舞鶴引揚記念館」の口コミを読むと良い事が書いてありますが、自分には戦争の悲惨さを伝わらなく、展示されている資料を見るだけでは、真綿に優しく包んだ生温い記念館だと思う。
少なくとも小説「不毛地帯」を読んだ人には、人間の生死・葛藤を掛けた抑留生活の厳しさが伝わらないような気がして、他の人から非難されるかもしれませんが正直言って期待外れでした・・すみません。
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