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松尾寺へ・線路沿い、西国33観音霊場記  2019/3/27 巡礼


「あの日のオルガン」と松尾寺参道/西国33観音霊場

松尾寺駅・構内、西国33観音霊場記   松尾寺駅、西国33観音霊場記   「あの日のオルガン」・松尾寺駅、西国33観音霊場記

 「四所駅」から「松尾寺駅」までの区間は、ほとんどが住宅・商店街なので、歩いてもあんまり面白く、ズルして省略しちまって歩きませんでした。

 早朝「松尾寺駅」に約50年ぶりに降り立つと、駅校内はこんなのだったかなぁ・・・、駅舎は昔のままの木造造りで、こんな感じでしたが、当時この松尾駅にはトイレが無かったように思うが、今は有るのかな。松尾寺へ・線路脇、西国33観音霊場記

 駅舎に「あの日のオルガン」という映画ポスターと、その関係資料が展示されており読んでみると、第二次大戦中に空襲を避けるため保育所が疎開した実話を映画にしたらしいが、知らんなぁ。

 で・・この「あの日のオルガン」映画と松尾寺駅とは、どんな関係があるのか、これを書いてる時にネットで調べたがわからん。

 たぶんロケ地の一つとして「松尾寺駅」が撮影されたのだと思うが、そのロケ内容がわからず、映画を見ればわかるかもしれんが、だれか知ってたら教えてね。

 これから向かう西国33観音霊場「29番札所・松尾寺」は青葉山という中腹に有り、自分が「海上保安学校」在学中に、山頂まで3度登った事がありますが、キツかったぁ~。松尾寺へ・車道と合流、西国33観音霊場記

 ちなみに海上保安学校の校歌は「秀麗 青葉(青葉山の事)を 背に受けて 白糸湾(舞鶴湾の別名)の潮の香に・・」とあり、海上保安学校からは青葉山が三角錐に見え、別名「青葉富士」とも言われています。

 なお松尾寺駅付近からは麓すぎて、富士山の形に見えず、単なる山にしか見えません。

 青葉山に登った時も「松尾寺駅」が出発地でしたが、当時は国道経由で「ワァ・ワァ~・・」言いながら松尾寺参道を歩いたような気がして、地図に載っている線路沿いの道を歩いた覚えは無かった。

松尾寺へ・五輪塔、西国33観音霊場記   松尾寺・車道、西国33観音霊場記   松尾寺へ・車道と参道の分かれ道、西国33観音霊場記
松尾寺・旧参道入口付近、西国33観音霊場記   松尾寺・旧参道、西国33観音霊場記   松尾寺・旧参道2、西国33観音霊場記

 松尾寺参道の車道行き、最初の急カーブの所に標識が有り、そのまま真っ直ぐの道が旧参道です。

 以前ネットで下調べした時は「旧参道は通れない」と書いてあったので、どうかなぁ・・と思ってましたが、ちゃんと草も刈ってありました。

 松尾寺旧参道を歩きながら景色を見てもあまり覚えが無かったが、道がヌカルんでる所が有り、そお言えば当時歩いた時も、このようにヌカルんでいたなぁ・・と、つまらん事を思い出した。

松尾寺・旧参道3・車道が見える、西国33観音霊場記   松尾寺・旧参道と車道の合流箇所、西国33観音霊場記   松尾寺参道、西国33観音霊場記

 やがて先程分かれた車道が見えて合流・・遠くの山々を見るとけっこう高い箇所まで登ったと思う。

松尾寺入口階段、西国33観音霊場記   松尾寺・山門前の旅館、西国33観音霊場記   松尾寺・山門、西国33観音霊場記

 西国33観音霊場の29番札所「松尾寺」に到着し、山門前の家は当時は旅館でしたが、今は時代の流れで廃業しているよおです。

 しかし、その家は当時と変わってなく懐かしい。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます

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