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2019/3/29巡礼
9時半頃に国道から「熊川宿」への旧鯖街道へ入ると、道幅は広くキレイに整備されており、家並みも保存しようとする努力が見えるが、やはりキレイすぎる。
鯖街道の広い道を歩いてる観光客は自分たち二人だけで、いくら普通の日でも寂れているなぁ。
同じ宿場街でも会津の「大内宿」は、ワンサと観光客が歩いてるのにぃ、その違いは何だろぅ。
「大内宿」は茅葺で、ほとんどが土産物店を兼ねており、「熊川宿」は瓦屋根で、あんまり土産物店が無いの違いがある。
自分としては土産物店が無い「熊川宿」の方が良いと思っているが、今一つ情緒が無い。
たぶん道がキレイ過ぎるから造られたようなイメージを持つのだろう、これが砂利道で雑草も生えているような感じだったら、ヒナビタ感じがするのだが・・・。
「熊川宿」を歩いてると、途中に「ほたるの家」の看板が出ており、その建物を見ると木造校舎のように見え、前広場もグランドのように見え分校かもしれんと思って、一生懸命に建物周囲の写真を撮った。
まだ世に知られていない木造校舎の発見か・・と喜んでいたが、地元の人に聞いてみると元保育園だった、あらら・・・。
確かに内部を窓から拝見したら、保育所風にも見えました。
さらに熊川宿を少し歩くと、木造校舎の代わりに古びた元村役場の木造建物「宿場館」が有りました。
タダかと思って入ると入場料200円で、今更止めるというのもミットモナイので、入場料を払うと受付のオバハンがポインタを持ってで説明してくれた。
それによると、織田・徳川・豊臣だったかの三武将が熊川宿に泊まったらしく、そお言えば途中に「家康が腰掛た松」の看板が有り、ウソだろおと思ってたのだがホンマだったのね。
オバハンの説明は長くなりそうなので「先を急ぐので・・」と言って、話を大分端折ってもらった。
それでも熊川宿の特徴は、各家の庇が一直線になるように作ってあるとの事で、説明を聞くまで知らなかった。
この「熊川宿」には木賃宿があり、西国33観音霊場「松尾寺」から来た巡礼は、その木賃宿で雑魚寝するしかなく、普通の宿には泊まれなかったと説明します。
その説明を聞いて、四国遍路をした時に聞いた遍路宿と同じで、西国霊場も変わらんかったのだなぁ・・と懐かしく思った。
今でこそ遍路・巡礼は「心のリフレッシュ」等とキレイ事を言われ、普通の宿・ホテルにも泊まれたりするが、戦後付近までは普通の宿では断られるのが当たり前で、遍路・巡礼専用の宿でしか泊まれませんでした。
まさに映画「砂の器」の世界で描かれている状態で、そのような黒い差別の歴史が有ったのだが、今はそのような事が有った事も知らない人がほとんどでしょう。
展示品を見ていると、先程通った「仮屋」集落付近の写真があり、昔とあんまり変わりまへんなぁ。
偶然にも前ベージで同じ位置と思われる付近から撮った写真が有ったので、もう一度貼っておきます。
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