HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 30 大内宿
旅行日 2015.8.21 掲載日 2016.1.22
この地方はまことに美しかった。 私は大内宿の農家に泊まった。
この家は蚕部屋と郵便局、運送所の宿所を一緒にした屋敷であった。
村は山に囲まれた美しい谷間の中にあった。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
大内宿には、イザベラ・バードが実際に泊まった阿部家「美濃屋」が現存し、立札にもその旨が書いてあり、今も郵便業務の委託を受けてるらしく、「切手販売」の看板が家に付いてます。
大内宿に来た時は、盆休みが終わったためか、それなりの観光客も居たのですが、、秋に来た時には閑散としており、ズラッ~・・と並んでいる土産店も半分ほど店を閉めていました。
もうすぐ冬が来ますからねぇ・・。
大内宿からの旧道は、「大内ダム」で途切れているのを知ってましたが、行ける所まで行ってみました。
村外れからの旧道は昔の情緒・面影が残ってますが、たぶんほとんどの観光客は来ないでしょう。
村はずれの道端辻には、地蔵さんも立っており、イザベラちゃんも見たでしょうか。
途中に「櫻木姫墳」が有ったので寄ってみましたが、石碑と看板だけで読んでみると、
高倉宮以仁王が反平家をくわだてたが負けちゃい、流れ矢に当たって死んだ事になっているが・・実はそれは替え玉で、本人は落ち延びてここを通り越後へ向かったという伝説があるらしい。
で・・その以仁王さんを慕った女官「櫻木姫」が、ここまで追って来たが、病のためここで亡くなった塚だそうです。
ええですなぁ・・落ちて行っても、慕ってくれる女性が居るのは・・ワシが戦に敗れて落ちて行ったら、越後屋はどっか他の所へ行って幸せに暮らすだろなぁ。
ネットで調べてみると「高倉以仁王御墳墓考」(リンク切れでした2020/9/2)というサイトに各地に残る伝説が詳しく記載してあり、大内宿の事も記録してありましたが、イザベラ・バードは、この「櫻木姫」伝説を知ってたかな?
旧道は「大内ダム」下で無くなっていました・・やっぱりね・・・
国道へ出ると、そこに「薬水」説明看板と水が流れ出ており、櫻木姫も病が治るように・・と祈りながら、この水を飲んだらしいが、アカンかったようですなぁ。
大内ダムへ行くと、自転車3人グループが休んでおり、話をすると立命館大学のサークルだと言います。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アブェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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