HOME > 尺八関係 > 虚無僧寺「目次」 > 4 越中 国泰寺
H17.7.16 UP
昔、富山県高岡市伏木に住んでいた事があり、その近くに国泰寺という虚無僧関係の寺がありました。
毎年6月に「国泰寺」では「開山忌」というものがあり、その時に虚無僧が集まるそおなので原付バイクに乗って行った事があります。
国泰寺はそれなりの大きい寺で、立派な山門や境内に池もあります。
境内をウロついてると、本堂横の控え室に虚無僧のカッコウした人が座って談笑してます。
おぉぉ・・時代劇でなくホンマモンの虚無僧やでぇ・・動いとるぞぉ・・生きてるでぇ。!(^^)!
時間が来て本堂で「開山忌」の儀式が始まり、一般庶民も中に入っても良かったので、参拝の衆と一緒に座り、何が始まるか見ておりました。
本尊さんの正面に向かって何人かの坊さんが座り、左側に十人余りの虚無僧が座ってます。 あっ、天蓋は被ってまへん。
坊さんが何人か読経(たぶん般若心経だと思う)を唱え始めました。
今も信心が足りねぇけど、その頃は今よりももっと信心が不足気味だったので、経なんかどおでもええんだが・・
それよりも虚無僧の尺八を聞きに来たやでぇ・・・と、待ちくたびれてアクビをしかかった時、読経の途中より突然、低い音から始まる尺八の吹奏が加わり始まりました。
はらっ?!・・・おぉぉぉ!!・・!(^^)! スゲェ~・・・
読経と尺八の曲が合わさり、何と言って表現のしようがわからんような、厳かな雰囲気を出しています。
読経は更に続けられていますが途中で尺八は止み、またしばらくしてから尺八が加わりを繰り返しており、ええですなぁ・・初めて聞いたでぇ。
そのうち坊さんが机の上に置いてある、折り畳み式の経本をバラバラバラッ・・・と扇のように空中に広げながら、怒鳴り声なのか、お経かわからんような言葉を発しながら手元に戻し、それまた「おぉぉぉ・・・!!」と口を空けて見とれながら終わりました。
儀式が終わり、その後で虚無僧が境内を練り歩くというのが有るらしいので待ってました。
ボケェッ~と時間つぶしに境内をウロついてると、一人の虚無僧が庭先に出てきたので話しかけてみました。
「自分も尺八やってるのだけど、どおしたら虚無僧になれるのか?」と聞いてみると、虚無僧が集まって談笑していた部屋に入れてくれ、おまけに茶まで出してくれました。
お茶は、ちょっとヌルクて、すでに何度も使った出し殻のような気もしたが・・・
先程の本堂で吹いてた曲は「蓬莱」という曲の一部を吹いていたのだと言い、都山符のコピーをくれました。
「ここから、ここまで吹いたんだけど、あんたが家に帰ってこの符を見て吹いても、たぶん曲はわからんじゃろ」と笑いながら言います。
そおですわなぁ、わかりまへんわなぁ、現代曲とちがうから楽譜を見ただけでは・・・テープかCDでも聞きながらでないと・・・
「妙音会会則」なるものを貰いましてなぁ、それに付け加えて説明してくれました。
虚無僧は趣味の世界でなく仏門(僧職)に入らなければならない。
この開山忌には、毎年必ず出席しなければならないが、今は世間の事情(仕事上)により、少なくとも3年に一度は出席しないと破門になる。
使用尺八は2尺一寸(だったと思う)。
説明を聞いて、仏門ねぇ・・・世捨て人になっちゃうのね。
σ(*_*)は、まだこの世にたっぷりと、こぼれ落ちんばかりの未練を持ってるしぃ・・・
これから先もσ(*_*)の知らない、楽しい人生が有り、あんな事もしたいしぃ・・
こんな事や、いけない事もチョッピリしてみたいしぃ・・・
という夢と希望が広々と横たわり寝そべってるので、まだ仏門に入るには早すぎると思い、結局その時は入会しませんでした。
その時に聞いた話しでは、
虚無僧は本来どの宗派にもとらわれない。
国泰寺の虚無僧は武家ではなく、百姓が虚無僧をしていた。
普化宗が明治時代に弾圧を受けたが、国泰寺は幕府公認の虚無僧寺五十三寺中に含まれていなかったので弾圧されずに今も残った。
国泰寺は、虚無僧を育成したり取締ったりする虚無僧寺ではなく、北陸を行脚する虚無僧の寄り所・連絡所となっていたようである。
托鉢時では、乞われて仏前で吹く曲は「手向」「調子」「大和調子」等。
「軒下三寸は入れない」「戸が閉まっていても、自分で戸を開けてはいけない」という決まりが有る。
托鉢してる時に戸が閉まっている家には、珍しがって後ろを付いて来る近所のジャリ共に戸を開けさせた(自分で戸を開けてはいけないから)事もあるという内輪話しをしてくれました。
托鉢の目的は「その場の空気(空間)を浄化して綺麗にする事と言われている」
それから十数年ぶりに国泰寺へ行きましたが、道を覚えているだろおと思って地図を持って行かなかったら、入る道を完全に忘れっちまっており、トシは取りたくないもんじゃ。
入口の総門が壊れたのか境内に仮移設されており、代わりに普段は入れない勅使門から入れました。
以前とほとんど変わってまへんでしたが、本堂が工事中なのか青いビニールシートがかかっており、また竹藪の所に竹の塀が有り、そこに丸い円の穴が空いてたのだけど、その竹塀も無くなっていました。
そおいえば「鶴の巣籠もり(だったかな?)」にまつわる大きい木の根っこが有ったような気がしたが、見当たらなかったなぁ。
「越中一国観音霊場記 「3 鶴の巣籠」」に再訪した時の記事を掲載しましたので、併せて御笑読ください。(2014.2.23)
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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