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日島・曲崎の海岸、五島列島  2018/6/1 旅行


有福教会と「日島の石塔群」

漁生浦島と有福教会

      若松島の海岸、五島列島          「漁生浦大橋」より若松島の眺め、五島列島

 若松島から有福教行くには、島々を橋を渡って行きますが、橋が無かったら渡し船の時間を調整しなければならず、教会巡りもタイヘンだったと思いう。

 正直言いますと「漁生浦島」も「有福島」も全て「若松島」と陸続きだと思ってました・・なんせ地図で見ると陸続きかと思うほど近かったもんでして・・。

 ちなみに「漁生浦島」は「りょうぜがうらしま」と読むらしく、どおしてそお読めるのか、よぉ~わからん。

     有福島より島々の眺め、五島列島

 若松島から最初の橋は「漁生浦大橋」で、島間の高い位置に橋が設置されており海がキレイに見え、「漁生浦島」から「有福島」へは防波堤を渡ります。

有福教会、五島列島   有福教会2、五島列島   有福教会よりの眺め、五島列島

 有福島の海岸沿いの狭い道を行くと、チッコイ漁港が有って行止りのような感じがし・・あらら・・教会は?・・・そこから続くもっと狭い護岸を行くと有福教会が高台に有りました。

 階段を上がると、有福教会脇の山側が土砂崩れしているらしく工事中になってます。

  有福教会・スタンプ1、五島列島      有福教会・スタンプ2、五島列島      有福教会・石、五島列島

 教会内にはスタンプと共に石が置いてあり、おっ・・何か奇跡でも生じた石かと思って説明書を読むと「江戸時代にキリシタン弾圧を逃れて五島列島に渡る時、身に着けていた石」だと由来書の貼り紙に書いてあり、早い話が故郷を偲ぶ想い出の石なのですね。

        有福教会3、五島列島          有福教会4、五島列島

日島の石塔群

「日島の石塔群」1、五島列島   「日島の石塔群」2、五島列島   「日島の石塔群」3、五島列島
「日島の石塔群」4、五島列島  「日島の石塔群」5、五島列島

 有福教会から次の教会へ、トットと移行かと思ったのですが、「日島の石塔群」という看板が目に付き、地図を見ると一応史跡になっていて場所も近いようなので、ついでに寄ってみました。「日島・曲崎」海岸、五島列島

 で・・この石塔群とは何か・・・と言うと、よお~わからんが南北朝時代の墓らしく、五輪塔は鎌倉時代の物だそうで、だれが葬ってあるのかは記載されてませんでした。

 1298年(鎌倉時代付近)に、この沖で唐船が難破しちまい、難破船から積荷を地元民が取り出したところ、積荷を返せと幕府が言って来た文書があるらしく、当時この日島は中国との往来に重要な地であったらしい。

 へえぇぇ・・知らなかったなぁ、失礼ながら五島の過疎化された端の島でも大昔は交易が盛んで、今で言うならば、成田空港か関西空港なみの場所だったのでしょう。「日島・曲崎」海岸2、五島列島

 今は小さな石塔群が散らばって海に並んでおり、日島の大きな岬との対比した風景は、荒涼感と侘しさが有ります。

 すぐ側の曲崎海岸は、白い砂浜から遠浅の透明な海であり海水浴に良い場所だと思う。

 ついでに寄った「日島・石塔群」でしたが、確かにこれほどの石塔群は見た事が無く、一見の価値はあると思い、寄ってみて良かったと思う。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アヴェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



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