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2018/6/2 旅行
「野首」集落から「野崎」集落へ歩き、途中で「旧教員住宅」跡地に立ち寄ってみると、ガラスは割れて室内はかなり荒れており、鹿さんが室内で遊んで行ったからでしょうか。
学校に何人の先生が赴任していたかわかりませんが、店も無くヒマだったと思う。
自分も能登半島沖に有る島周囲4kmの「舳倉島」で勤務してましたが、勤務時間が終わるとホンマにヒマでした。
朝方、「サバンナ」へ案内してくれた人から教えてもらった「神官屋敷跡」へ行きました。
この神官屋敷は、野崎島のほとんどが廃屋となって倒壊したりしてるのに、キチンと家が立っており中も公開されています・・はい、タダです。
敷地へ入っていくと、庭先で遊んでいた鹿の一群がササッ・・・と逃げて行き、様子を伺っています。
この神官は、皆が離島していくのに最後まで野崎島に残り、山の頂上にある「沖ノ神島神社」へ毎日通って祈りをささげていたらしく、責任感が有ってエライでんなぁ。
室内は、さすが神官の家だけあってキチンとしており、「沖ノ神島神社境内図」の衝立絵図が置いて有り、「王位石」の図もちゃんと描いてあります。
ホンマにこの「王位石」の上に載っている大石は、どおやって置いたのでしょうねぇ。
帰りの船は、来たコースではなく、そのまま野崎島を一周するようなコースで小値賀港へ帰りましたが、途中で野崎島の「舟森」集落付近を通った時に、船員がわざわざ「あそこが舟森集落跡だ」と教えに来てくれ親切ですねぇ。
教えてくれなかったら、わからなかったと思う。
見れば斜めになった崖の付近が集落跡で、分校も有ったそうですが今は何も残ってないらしく、それにしても失礼ながらこんな所に良く住んでいられたと思う。
後で知ったのですが、この「舟森」集落にも「瀬戸脇教会」というのが有り、1966年に廃村になり小値賀島に移設されて「小値賀教会」となっているらしい。
わざわざ島を隔てて撤去・移設するよりも、移設先で新築工事をした方が工事費が安くなると思うが、やはり信仰心なのかなぁ。
ちなみに五島列島の教会群を巡っていて、この小値賀教会だけは訪問するのをウッカリ忘れちまい、スタンプだけは、どこに有ったのか忘れましたが押せました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アヴェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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