HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 57 黒 沢
旅行日 2015.6.11 掲載日 2016.4.9
私たちはなおも水田の間を通り続け、山の中にふたたび入り、黒沢に出た。
高梨健吉「イザベラ・バート 日本奥地紀行」より
十三峠の一つである高鼻峠は、「峠というほどでもない坂道」とネットに書いてあり、歩いてみるとその通りで、どこが峠なの?・・という感じでした。
なもんで、峠の頂上がわからず、たぶん「健康の森よこね」のキャンプ場へ行く分かれ道付近が高鼻峠だと思う。
まだ先に、峠らしい場所が有るかと思って写真を撮らなかったら、そのまま平坦な杉林を行ってしまいました。
途中で、向こうからバイクに乗ったバアサンが、人も居ないのに警笛を鳴らしながら来ます。
たぶん警笛を鳴らしていれば、熊が聞いて逃げてくれるのを期待しているのか、もうトシなもんだから、車や人が居たら相手が避けてくれると思って鳴らしているのかもしれない。
「杉沢」集落付近から「種沢」集落にかけては、イザベラ・バードが書いてるように水田が広がっています。
「杉沢」集落の道端に石碑?か、何かわからんようなの物に花が備えてあり、字でも書いてあるのかと見たが、何の彫り物も無かった。
代わりに側の杉に石がぶら下げてあり、何かカワイソーな云われの有るマジナイでしょうか? だれか知ってたら教えてね。
「種沢」集落を過ぎた付近より、イザベラ・バードが書いてる「山の中にふたたび入り・・」の箇所が十三峠の一つ「貝淵峠」だと思う。
「貝淵峠」は短い距離の峠らしいが通れるらしく、その峠入口を探しながら歩くと、車道から少し離れた草藪に「庚申塔」の小さい石碑を見つけ、その付近が昔の旧道だったのでしょう。
その付近からさらに注意深く、「貝淵峠」入口を探したがわからず、川沿いの所まで来てしまったが、わからん。
そのまま川沿いを歩き、川から少し離れた所で、やっと「貝淵峠」と書いた木杭を見つけましたが、草が生い茂っており、とても歩ける状態ではなく、こりゃあぁ~・・こんな状態ならば、わからんのも仕方がない。
写真は、来た方向を振り返って撮ったものですが、写真正面の山付近に貝淵峠が有ったのでしょう。
そこから少し行くと「黒沢」集落が見えました。
私はそこに泊まろうと思っていた。 しかし宿屋はなく、しかも旅人を泊める農家は、不健康な池の端にあり・・私はぐったり疲れきっていたが、なおも旅を続けざるをえなかった。
しかし暗さは増してきて、しかも駅舎はなかった。そこで私は、石の上に腰を下ろし、この地方の人々について1時間ばかり考えていた。
一人の女が泥酔してよろよろ歩いていた。 それでも、うす汚い着物の女は、休息料としてふつう置くことになっている二銭か三銭をどうしても受け取ろうとしなかった。
私が水だけで、お茶を飲まなかったから、と言うのである。 しかし、無理に金を取らせると、女はそれを伊藤に返した。
この罪ほろぼし的な行為を見て、私はだいぶ心の休まる思いをして出発することができた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「黒沢」集落へ入る橋を通り、T字路付近に有る倉庫の日陰で一休みしました(一番上の写真)。
イザベラ・バードも、夕暮れ時にこの付近の石に腰を下ろしながら、心細い思いで「黒沢」集落を見ていたのでしょうなぁ。
イザベラ・バードが座っていた石が特定できれば、「イザベラ・バードが座った石」として有名になっただろうに・・・人によっては、石にお賽銭を置いて拝んだかもしれん。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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