HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 79 六 郷
掲載日 2016.7.12 旅行日 2015.7.5
そして六郷という人口5千の町に着いた。 ここはりっぱな神社や寺院があるが、家屋は特にみすぼらしかった。
そこでは、警察の親切な取り計らいのおかげで、相当な金持ちの商人の仏式の葬式に参列することができた。 その厳粛さと端正さは、大いに私の興味をそそった。
私は日本の婦人の着物を茶屋から借りて、頭に青い頭巾をかぶって行ったから、誰にも気づかれなかった。 私はただ、外国人を親切にも出席させてくれた人々の気に触らぬようにとのみ心配していた。
もうもうと香が炊かれ、読経の唱和があり、やがて墓場に向かってぞろぞろと動き始めた。その間に私は寺の境内の門のところに立っていた。
棺は寺の中に運ばれ、台の上に安置された。 香が炊かれ、祈祷がなされ、次にセメントで縁をつけてある浅い墓場へ棺が運ばれた。
これほどおごそかで、うやうやしく、礼儀正しい儀式はないであろう。寺院を囲む墓場はきわめて美しい。
杉の木は特にりっぱである。 六郷の寺は非常に美しい。
その飾りが堅固なこと、趣味がすぐれて上品なことを除いては、カトリックの教会とほとんど変わらない。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「六郷」へ入り、イザベラ・バードが葬式に参加したという「本覚寺」もすぐにわかり、だいぶ地図を読む勘が良くなったようだ。
「本覚寺」の印象は、木に埋もれている感じがする寺で広く静かでした。
朱塗り楼の天井には家紋が貼ってあり、たぶん楼を寄付した檀家さんの家紋だろなぁ。
イザベラ・バードが葬式に出席したという大金持ちの商人の家は、わからん。
「六郷」の街を走ってると、古い家もありますが、全体に寂れており、「羽州街道 どまん中」の標識があり、たぶん「六郷」の中心地なのでしょう。
道筋に「街道の松」風な木が有り、写真を撮ると「六郷本陣跡」の杭標識が立ってます。
近くに「名水百選 ニテコ清水」の看板が有ったのでついでに寄ってみました。
家屋の広い間の正面に水色の小さい柵が有り、コンコン・・とまではいかないが清水が溜まっており、そこからの透明な水の流れがあります(一番上の写真)。
ここでは「サイダー」が売ってるらしいが、朝早いのでまだやってなかった。
竹樋からも水が流れており、落ち着いた雰囲気の庭がありましした。
人力車に乗って六郷を出てから間もなく路傍の茶屋で休んだが、そこで院内に滞留していた若い医者に会った。
彼は礼儀正しく感じのいい人物で、久保田(秋田)の病院を訪問するように私を招待した。 彼はそこの若い医師である。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「六郷」郊外へ出ると道端に看板が有り、何かと思って読んでみると、ここに昔は「六郷城」が有ったらしい。
今は、何も無く広々としたタンボになっており、近くの鳥居が立っている神社と思った所が「六郷城址 本丸跡」だった。
ところで、この説明地図を見ると、これから進む予定の道はどうも羽州街道ではないような気がする。
羽州街道は、左の道を行って住宅街の道を通るようで、どうしょうかなぁと迷ったが、住宅街を通っても面白くないので、予定の道を行ったら「広域農道」と書いてあり、あちゃあぁ~・・・。
「大荒田」付近で「大曲」へ行く道がわからなくなり、地図を見ていると家から農作業に出るジサマと顔が合ったので挨拶して聞いてみました。
なんせ年寄りのジサマだから、受け答えがマトモにできるか心配したが、「大仙市(大曲)は、すぐそこの信号機を曲がって行くと、真っ直ぐだ」としっかりした口調で教えてくれ、ジサマ疑ってスマンかった。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
以下、広告です。
老後の趣味に憧れのピアノを始めてみませんか? |
<レンタルボックス>の種類・料金を見る
<レンタルボックス>を自宅周辺で探す |
中学英語を使える英語に! |