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「田丸~女鬼峠~栃原」地図 この地図リンクは、「東紀州ITコミュニティ」様の了承を得ております。
熊野古道・伊勢路を「女木峠」へ向かって農道をトボトボ歩いてると、道端にキノコ「イグチ」が生えてるのを越後屋が見つけ、こおいうのを見つけるのは、感心する位に目ざといヤツじゃ。
新潟ではもう遅くて生えてないのに、三重ではこれからキノコの季節のよおですなぁ。
高速道路の下を潜った所に、女鬼峠の案内図板があったので、そこで一休みし、案内図を見ると、今通って来た所に「絶滅が心配されるマメナシの木」というのが有ったらしい。
「マメナシ」ってどんな木かわからんので、そんならそうと看板でも立っていれば、「はらあぁ~・・・」と思いながら口あけて、しげしげと眺めたのにぃ・・・
でも、この「女木峠案内図」は、始めて峠越えする者にとっては、これからどのような箇所が有るかわかるので、ずいぶん役立ちました。
女木峠案内図に「荷車のわだち」と言うのがあり、最初は何の事かわかりまへんでしたが、その場所へ来ると道端に看板が有りましたが、ん?・・どこに「わだち」が有るの?・・
その付近で横断歩道を渡るように、前後左右を見渡し・・おもむろに足下を見ると、大きい石に、荷車のわだち幅で磨り減ったような跡が有ります。
あぁぁ・・これの事かぁ・・タイヘンでしたでしょぅなぁ、この坂道を荷車引いて上がるのは・・・。
しばらく行くと「水飲場跡」があり水は枯れ、草に覆われ掛かった石組みだけが残ってます。
「石積み」と言うのも有り何かと思ったら、これまたしばらく行く・・・と言うより、すぐ近くの山側斜面に石が積んで有る物で、たぶん山崩れで道が塞がるのを防いだのでしょう。
その付近が女木峠らしく「茶屋跡」の看板が立っており、付近の土地が平べったくなって草が生い茂ってますが、そこに茶屋が有ったのでしょう。
この女木峠頂上付近に「切り通し」が有り、山の両端をV字型に切り通した狭い道で、「石積み」と共に、この女木峠の見所らしいでんなぁ。
「切り通し」を降りると、ほんまにすぐ近くに「南無阿弥陀仏」と書いた「名号碑」と「如意輪観音」の石仏堂が道端に建って並んでいます。
「荷車のわだち」から、この「名号碑」までの間は、ほんまに短い距離で、「あぁぁ~・・」という間に通った気がする。
「名号碑」前付近から道幅が広くなり、九十九折りになって下へ向かってます。
なんちゅうても荷車を引っ張って、石にわだち跡が付くほど通った道だから、それなりの道幅が必要だったのでしょうなぁ・・と、思いながらヒョイと右横を見ると小道が有るでねぇか。
何となく幅広の道をショートカット出来そうな気がしますが、付近を見渡しても道標も何も有りまへん。
ちと迷いましたが、「たぶん大丈夫じゃろう。この小道を行ってみよう。」と越後屋に言うと、「そんな事言って、道が間違っていて遭難して死んじまったらどうするんじゃ。」
「な・・何を大げさな・・いやなら大きい道へ行け、σ(*_*)はこの小道を行く。」
疑わしそうに不信感丸出しの目で見ていた越後屋は、何を血迷ったのか、モンク垂れていた小道を先に歩いて行き、歩いてみると下の林道へショートカット出来たあぁぁ・・!(^^)! ホレミロ・・・
この女木峠越えはキツク無いと、他の人のHPに書いてありましたが、確かにそれほどキツイ峠ではありまへんでした。
熊野古道・伊勢路の旧道をテクテク・・「相鹿瀬」公民館に小さい公園が有ったのでベンチで一休みしましたが、あんまりにも秋風が寒く、歩いていた方が温かいので10分ほど休んで再び歩き始めました。
ほんとは足が痛かったので、もっと休みたかったんだけれど、寒いのもつらいし・・
県道と交わった所で、大きく立派なオートバイの横に同年輩のトッツアンが立っており、挨拶すると「オートバイが壊れた」と言います。
あらあぁ・・お互いタイヘンでんなぁ・・ワシも足が、もんのすごく痛く、壊れそうなんですわ。
お互いに泣きたいですねぇ・・・一緒に泣きましょか・・・・。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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