HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・川丈街道 > 2 宣旨帰り
H19.11.10 UP 「川丈街道」地図
「小鹿」集落の手前付近で、熊野古道・川丈街道の「宣旨(でんじ)帰り」案内標識が有りました。
名前からして、その昔、畏れ多くもカシコクも、もったいない天皇の命を受けた使者が、引き返した程の所らしいです。
熊野川の河原へ降りるように下り・・・あっ、完全に河原までは降りず、「宣旨帰り」はその中腹付近をだいたい水平に歩くようになってます。
片方が岩の絶壁、もう片方は崖で河原・・ちゅうような細い道の所も有りました。
歩いてみた正直な感想は、伝わるほど「宣旨帰り」は難所ではなく、死ぬかもしれん・・というようなオトロシイ所では無いような気がします。
雨が降って熊野川が増水して、「宣旨帰り」歩道際まで熊野川の流れがガンガン来ていれば、そりゃあぁ・・オエッカナイでしょうが。
たぶん天皇の使者も、その時は増水してたので、気長に1週間ほどボケエッ~としながら、水が引くのを待っていれば、何とかなったのかもしれんのにぃ・・
早く妻や子の顔も見たかったので、ちっと位は叱られてもええや・・と思って帰っちゃったんでしょうなぁ。
その時の「宣旨帰り」の報告・言い訳書には、
「先日来の雨により熊野川増水、流水轟々と道無き道を洗ひ、引く事を知らず。 我、天皇の密命を奉じ、その使命感により勇躍流水を掻き分け渡行せんとするも、ふと後ろを振り返り見れば、家来達恐れをなして逃げる算段をし始めている。
我、密命の重要さを、わかりやすく懇切丁寧に訓辞するも、家来達、自分のケータイをいじくり眺めて聞いてる様子も無し。
優しく咎めると、しかたなくケータイを止め、早く話しが終わらないかなぁ・・とモクを吸い始める。我、ここで始めてドヤシつけると、家来達が泣いちまったので、やむを得ず引き返す事を決断す。」と書いたかもしれん・・σ(*_*)ならば、そう書く、命が有っての人生だもんね。
難所だと言うならば「宣旨帰り」より、県道へ上がる道の方が、よっぽどキツイ坂だった。
県道に戻った所に、この「宣旨帰り」の説明案内板が有り、それを読んでる時に自転車に乗った若い男?が「こんにちわー」と言いながら通り過ぎました。
おぉぉぉ・・珍しいなぁ、向こうから声を掛けてくれるなんて・・四国と違って、まさか地元の人から見知らぬσ(*_*)らに挨拶してくれるとは思えず、旅行者同士なら、行き違いや追い越し際に軽く挨拶する事があるので、自転車旅行しとる人なのかな?と思った。
しかし、あの自転車の荷台には野菜等を収穫するプラ箱が乗せて有ったなぁ・・今時の自転車旅行は、あんなスタイルで走るのが流行なんだろか?・・と思いながら歩いてると、見晴らしの良い所で先程の自転車に乗った人がジュースを飲んでました。
σ(*_*)らに挨拶してくれた人だしぃ、旅行者なら軽く情報交換でもしようかと近寄り「旅行されてるんですか?」と聞くと「いや、ワシ地元のモンです。」と会話した瞬間、この男の異様な姿にギクッとした。
ちゅうのは、後ろ姿を見て声を掛けた時点までは、髪が長くミニスカートを履いてたので、先程追い越して行った時は男かと思ったが、実は女の人だったんだと思い直したんです。
が・・・振り向いたその顔は、まさしく日焼けした若い男の顔と、はっきりと男の声。
えっ?!!・・と、それでも短パンだったのか?と善意に解釈した部分を見直してみると、やっぱりチエックのミニスカート。
こりゃあぁぁ・・あんまり関わり合いにならん方が良いかもしれんなぁ・・・と思い、軽く挨拶してすぐに別れました。
歩きながら越後屋と、どういう人なのかとウワサ話をしていると、後ろからサァッーと追い越し際に、再び挨拶して通り過ぎて行きました。
会話とか言葉や挨拶はシッカリしとるので普通の人だと思うが、あの姿・形を見れば一般庶民は一歩引いちゃうだろなぁ。
もっとも、σ(*_*)らも笠を被って杖を持ち歩いてるので、一般庶民とちょっと違うカッコウしてるから、あんな風に見られ、そのタグイと思われとるかもしれんが・・
ヒョットしたら、あのアンチャンも「あっ、ワシと同じように変わったカッコウしとる仲間だ。ウレシイなぁ~」と思って親しみがわき、挨拶をしてくれたのかもしれん。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「五木の子守唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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