HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・紀伊路 > 4 古絵図(東の馬留王子・河瀬王子・久米崎王子)
H17.4.29 UP
大峠へ行くまでは石畳や山道でしたが、峠を過ぎるとコンクリ道です。
しばらく行くと道に金網の柵がしてあり、越後屋が「あらあぁ~通れんわぁ~・・・どうしょう・・どうしょう・・・」と、慌てふためき、ウロたえます。
「ええぃ~・・静まれぇ~・・、落ち着け、ウロたえるな。」と、すかさず一喝。
「ワシはこのような事もあろおかと、予めインターネットなる物で調査し、柵が有るのを知ってたんじゃ。
この柵を通り過ぎて行くと書いてあったから安心せい、どおじゃマイッタか。(^O^)ダハハハハ・・・。」
動物除けの柵なので、通ったらまた閉めてくれと書いてあります。
柵は建て付けが悪くなっており、開けたのは良いが、なかなか閉まらず、二人でガチャガチャさせて、よっぽどこのままにして行こうかと思ったが、扉をちょっと持ち上げると何とか元通りに閉まりました。
良かったなぁ・・そのままにしといたら、後々まで心が痛んだろおなぁ・・
やがて道が二手に分かれており、どっちへ行こうかと迷ったら、金網にあの懐かしい「西国巡礼」の丸い礼がかかっており・・助かったぁ。
四国は遍路札が一杯有るけど、西国ではほとんど無く「西国巡礼」の丸い札だけが頼りじゃ。(T_T)
このコンクリ道は、けっこう足にこたえるキツイ坂道で、だいぶ腹も減ってるので、見晴らしの良い道端に座り込み昼食にしました。
遠くに国道42号線や高速道路が走ってるのが見えます。
さらにしばらく下りると、道がY字になっており古道の案内看板が有り、知らなかったのですが、この看板の所より峠への上がり口は二つ有り、今ワシらが下りて来たコンクリ道は「安全な道」で、もう一つの道は古道本来の旧道があったようです。
「金魚茶屋跡」トイレにノートが有ったので読んだ時、「峠道は荒れていた」書いて有りましたが、ここまで来る時に、別にそれほど荒れてるとは思いませんでした。
しかし、この古道本来の旧道を歩いたのなら荒れてたかもしれない、何となく草が茂ってそうだったし・・・
麓へ下りたミカン畑の道路際に「右くまの道 左何とか寺」と書いてある石碑近くに「馬留王子」の石碑がありました。
集落の「地蔵堂」でチビット休み、小川に沿った河瀬集落へ行くと外れには「河瀬王子」があります。
伊関集落に入ると、お稲荷さんの鳥居がギョウサン立ってます。
こんだけ沢山の鳥居が有る神様のマンションならば、気の良い神様が一人ぐらい居て、どなたか願いを聞いてくれるかもしれまへん。
熊野古道・紀伊路の「伊関」集落は昔、旅館が建ち並んでいたそおで、集落出口の石垣に長い古絵図が描いてあり、昔の古絵図を拡大して、丁寧に描き再現したのでしょう。
なかなか珍しい興味深い物で、この古絵図を飾る事を思いついた人はアイデア賞もんだと思う。
ワシがエライ人だったら「斬新なるアイデアにより、地域に密着した文化財を世に知らしめ、その貢献に著しく努力した」として絶対に表彰しちゃうけどなぁ。
ゆっくり古絵図を鑑賞したかったが、デジカメに納めるだけにしました。
付近のコンビニで「スイカのアイス」を買い、駐車場の日陰でガリガリと囓りつくと・・・・イテテテテ・・・冷たさのあまり、頭にジィ~ンと来ます。
歩いてると畑の小川に小魚が泳いでおり、ワシらの人影を見るとササッ・・と逃げ、そのうちに大きいナマズが泥を掻き立て、小魚を蹴散らしどっかへ逃げて行きました。
珍しいなぁ、久々にナマズを見たでぇ。
広川インターチェンジに「津兼王子」が有るらしいが、暑いのと、またどうせ単なる石碑だけなら見てもツマランと思いヤンピして、そのまま国道を歩きました。
新柳瀬橋を渡った木陰で一休み・・・
湯浅駅まで、もう少し一踏ん張りと、あんまり車の通らない車道を、テクテク・・・
「久米崎王子」は国道を隔てた所に看板が見えましたが、車がワンサカと走り回ってる国道を横断する気はありません。
どうせ石碑だけだろおと思って、これも行かずに車道を隔てて写真だけ撮ってズルして、その後は暑い中、狭い町道を歩き、やっとこさっとこ湯浅駅に着きましたとさ。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「五木の子守唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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