熊野古道・中辺路の「おぎん地蔵」から山道を登り始めると、これがまたキツイ坂なんです。
頂上の岩神峠に「岩神王子」の小さい碑がありましたが、見晴らしも良くなく、ただ杉林に囲まれたという感じのアッサリとした場所です。
そんなアッサリした場所なもんだから、スタンプは当然無く、すぐに再びキツイ下り坂・・・麓付近まで降りると、雨のため石の階段が小川のようになって水が流れてます。
やがて本当の川に橋が架かってる場所へ来ると「仲人茶屋跡」というのが有り、今下りて来た坂を「男坂」、これから上る坂を「女坂」と言うらしい。
そいで、この二つの坂を合わせて「夫婦坂」と言い、その真ん中に位置する場所なので、夫婦の中を取り持つ「仲人」という意味より「仲人茶屋」と付けられたらしく、なかなか名付けの発想がユニークでんなぁ。
普通、「男」「女」と名付いて居れば、いかに男女平等の世界になろおとも、心理的に「女」の方が優しい印象を持ち、「男」の方より楽だと思います。
あっ・・テレビで男女同権だと騒ぎ立てとる、何とか大学のタジマのババアに叱られるかな? (^O^)
とにかく「女坂」を、そんな優しい印象を持ってたもんだから、「女坂」を登り始める階段の道を見ても「たいした事あるめぇ・・」と軽い気持ちで登ったんです。
そしたら、あぁ~たぁ~・・・、この「女坂」のキツいこと、キツイこと・・・タジマのババァが「キャンコラ、キャンコラ・・」吠えまくって主張する男女同権と、ええ勝負しとり・・いや・・・・「男坂」以上にキツイ坂かもしれまへん。
良かったねぇ、タジマのババァ・・男より、もんのすごく優位になれる場所が有って・・!(^^)! タハハハ・・・・
そのキツイ女坂を上りきった草鞋峠の頂上で、さすがの越後屋も心臓の脈が飛び始め、道端の丸太に座り込んじゃいました。
その有様を見て、このまま心臓停止してポックリいっちまったら、こいつをどおやって麓まで運べば良いか、ホンマに真剣に考えちまった。
背負ってオンブしてやるには、重すぎるし・・・
当然、ダッコなんかしたくないし・・・
引きずって行くのも疲れるし・・・
下り道のようだから、杖先で突きながら押しやり、何とか麓まで坂道を転がして行けば、それほど労力は、いらんかもしれん・・・とにかく、何がなんでも転がしてでも良いから麓まで運んでからの話じゃ・・
と・・心臓病の心配よりも、どおやって麓まで運ぶかだけに頭を悩ましながら待ってると、よおやく越後屋の心臓も落ち着いて来て、何とか動けるようになりました。
良かったなぁ・・・・転がさなくて・・・!(^^)!、後で世間から何を言われるか、わからんかったもんなぁ。
新聞や週刊誌に
「病で倒れた妻を、無情にも杖で転がしながら降りて来た、薄情な夫」
「他人の目からは愛妻家・・・実は、そこには隠された真実が・・・・」
「鬼のような夫、実はホントは知らなかった事にして置き去りにするつもりだった・・・」
なんて書かれちゃうところだった。(^O^)
少し下り始めると「一里塚跡」が有り、やがて「熊瀬川王子」も有りますが碑だけで、楽しみのスタンプは有りません。
さらに下って、地蔵さんが奉ってありましたが、云われの説明が無いので何なのかわかりまへんでしたが、後で調べると安産の地蔵さんらしく、その近くに川が流れており休息所が有ります。
はて?・・地図ではトイレも有るはずと思いながら、さらに進みますと、車道に立派なトイレが有りました。
この付近に「小広王子」が有るはずだが・・と思って車道を歩いてると、民家側の山際に案内板だけが建っており、ここもスタンプはありません。
そいで、そこの階段を上がった奥の立て札に「この道は「熊野古道」ではありません」と書いてあり、この立て札が無かったら「小広王子は何処へ?」と探しにどっかへ行っちまう人も居るんだろおなぁ。
今日の「熊野古道・中辺路」行程は、「本宮」からこの「小広峠」まで1日で歩きました。
これより約5km先の「近露」まで歩くとなると、ちと距離が長く無理と思い、この日は「小広峠バス停」に車を置いて、早朝バスで「本宮」まで行き、この「小広」まで歩いたのです。
これから歩いてみようかと思う人は、何かの参考としてください。
「小広峠バス停」付近には人家も何もない山の中で、何でこんな所にバス停が在るのかと思い、このバス停を利用する人はσ(*_*)ら程度でないかなぁ。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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