HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・中辺路 > 13 守りの里 (近露王子)
熊野古道・中辺路にある「近露」は下り坂の舗装道路を歩き、下る方はキツクありまへんが、逆に上がってくる人にとっては、キツイ坂道でしょう。
近露のバス停で一休みしていると、ツバメがバス停の庇に入ろうとするのですが、ワシらが居るので、その場で羽ばたきながら飛び去り、そこらをウロウロしてます。
巣が有るんかな?と思って見ると二つありました。
何も悪い事しないから遠慮せんと巣へ行けば良いんだけど、ツバメにしてみれば、取っ捕まえられて焼き鳥にでもされると思うんやろおなぁ。
カワイソーなので荷物を持って、外の離れたベンチに移ってやったら、ツバメは喜んで巣に行きます・・なに、礼には、およばんぞ。
近露には小さい町並みがありますが、ここまでスーパーらしき物も食堂も無く、食料を調達するならここのJAスーパーしかなく、ただし営業時間と休みの日に注意してください。
「近露王子」は大きな石碑が立っているだけで、「ふぅ~ん・・」と、スタンプをペッタンして行こうかなと思ってましたが、説明板を読んでみると、この石碑の字に隠れた云われが有るんですなぁ。
石碑の字は「出口王仁三郎」という宗教家が書いた物で、知ってる人は知っており、知らん人は、そんなモン知らんわ・・どこのオッサンじゃと思うかもしれまへん。
一応ワシは名前と、どんな人かは少しだけ知っており、どや、エライやろ。(^O^)・・そおですか・・・知ってましたか・すみません・・(T_T)シクシク・・
この「出口王仁三郎」の宗教は昭和初期の政府に、徹底的なる弾圧を受け、その際に関係した物も含めて全て破壊しつくされたらしいです。
そおいう弾圧を受けてる時に、この石碑の書の事が警察にバレっちまったんですなぁ・・だれかチクッたんかな?
お上が一生懸命に宗教を弾圧してる、このクソ忙しい最中に、その弾圧されてる人の筆跡なんか見つかっちまったら、そりゃあぁ~石碑の設立に関わった関係者まで厳しいお咎めが有るかもしれまへん。
しかし、皆の衆、ここからが大事なんですわ・・アクビなんかしとるヒマ有りまへんでぇ・・・ちゃんと正座しないと・・・。
その時、村長が「こりは、ワシが書いた石碑じゃあぁ~」と言い張りガンバッて、石碑の署名部分だけを削り取って、新たに村長の署名を入れてゴマかしたそおです。
エライでんなぁ・・・・・マネできまへんなぁ・・・改めて石碑の署名箇所を見ると、確かにそこだけを入れ直したように見えます。
自分の信念を貫き通し、お上のご威光に逆らった、この村長は、ホンマにエライでんなぁ。
バレたら本人は村内引き回しのうえ、磔・獄門・・・一族郎党まで罪がおよび、遠の島送りか冷たい石の牢屋に繋がれるかもしれんのに・・・・
そして、たぶん警察や担当の役人も、その事を知ってたのでしょうが、知らないフリして通してくれたんやろおなぁ・・そおいう意味では、見逃してくれた役人も人情がわかっており、エライッ!!
役所の人達もバレたら、本人は切腹のうえ、お家断絶・・親類縁者も十里四方の所払いとなり、浪々の日々・・ぐらいは覚悟しとったと思う。
それとも、小判を敷き詰めた菓子箱でも差し出したのかな?(^O^)
いずれにしても、村長・警察・役人の考えが一致してなかったら、確実にこの石碑は存在しなかったと思い、役所つうもんは書類手続きさえ完備しておれば、チットぐらいゴマかせますから。(^O^)
時代は違いますが、明治政府は確かに文明開化として近代化の第一歩を開いたかもしれまへん。
しかし廃仏毀釈により、多くの古き良き物まで破壊し消滅させてしまい、尺八関係では虚無僧が所属していた普化宗が廃宗となり、そのため貴重な資料も失われました。
もっとも、これは明治政府にしてみれば、敵方である徳川家の隠密であった虚無僧を目の敵にしたからだという説も有りますが、それは映画・ドラマの見過ぎで、隠密なんて事はしてまへん。
熊野古道も廃仏毀釈のため「王子」が廃れて、今では途中の茶店も宿も無くなっちまい・・・きっと他にも知らない多くの貴重な物が失われた事でしょう。
仕事絡みで文化財に史跡指定された場所へ行った事があり、その史跡は、そのままの形でそれ以上風化しないように、そおっと保存するような形で残せば良いのに、わざわざ人を来させようとしてキレイに整備して公園化しちゃてます。
こんなにしちまって・・・、果たしてこれがホンマに史跡か?、ウソコケェ・・・公園じゃねぇの?・・・と思う事が有り、「文化財の保護」という名目の元に「文化財が破壊」されてるような気がしました。
すんまへん、そんな風に思う事が少し有ったので、チビッとばかし愚痴りました
熊野古道・中辺路も世界遺産に登録されましたが(歩いた時期は登録の少し前)、10年・・20年後に来た時には、どのように変化してるでしょうか・・できたら今のままで変わっていて欲しくない。
いずれにしても、後世の人から「やらんでも良い事をしちまって、惜しい事をしたなぁ・・」と言われないようにしてください。
話しを戻して・・・と・・「近露」の某所駐車場で2回ほど車野宿をし、その時に近くにある「近露上小野温泉 ひすいの湯」という温泉へ入りました。
温泉の側に日置川が流れてましたが、あいにくの雨で水は濁っており、とても看板通りの翡翠色ではなかったが、きっと夏には翡翠色した綺麗な川なのでしょう。
温泉から出ると、店のオバハンが冷たい麦茶をコップに入れて出してくれ、今まで他のいろんな温泉に入った事が有るが、こんな気の利いたサービスが有ったのは初めてで、他の温泉屋さんも見習ってくんなせぇ。(^O^)
駐車場で夕食を作って食べたら・・・と言っても、インスタントラーメンに缶詰だけの食事だけど・・、することも無くヒマなので、尺八を吹きたかったのですが雨風のため外では吹けまへん。
車の中で吹こうと思っても、越後屋がゴロンと横たわって寝ており、こんな所で音を出したら、ブツブツ文句を言い、何を言い出すかわかりまへん。
そこで、人家から離れている駐車場のトイレ入口付近で、雨風を避けて外に向かって、1時間余り尺八を吹いてました。
遠くに人家の灯りがポツン・・ポツン・・と見える、暗い夜景を眺めながら風雨の中で吹く尺八も、また情緒が有り、トイレも音の反響音が良かった・・・・(^O^)
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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