HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・中辺路 > 15 光輝き (小判地蔵・十丈王子・大門王子
< H17.2.20 UP >
熊野古道・中辺路の「悪四郎峠」山道を下りて行くと、小さい地蔵さんがあり「小判地蔵」と書いて有ります。
云われでは、この地蔵さんを拝むと小判を見つけたり、宝クジが当たるという、欲深い人には、もんのすごい御利益が有る・・・というのではありまへん・・トッツアン、あわてるな。(^O^)。
その昔、ここで行き倒れになった遍路がいて、自分の死期が近づいたのを悟り、小判を口にくわえ、この小判で自分の死後の処置を頼むという意味だったらしい。
昔の人はエライでんなぁ・・なかなか自分の死後まで心配して人に迷惑をかけないようにするなんて、出来る事ではありまへん。
さらに山道を下りると、今まで木立で薄暗かったのですが、急に明るく開けた所に出て「十丈王子」に着き、スタンプをペタリンコ。
ベンチに座って休んでいると、一人のネーチャンが登って来て通り過ぎようとしたので、声をかけて挨拶しましたが、遍路笠をかぶった異様な風体をした怪しいジジイと思われたのか、軽く返事して、そそくさと離れて行きます。
ワシって信用されてないのね、四国とは違うからなぁ・・・・ワシも遍路してなかったら、遍路姿という事がわからんから、やっぱし怪しい人物として避けて通るかもしれん。
十丈王子のベンチから少し離れた所に休息所とトイレがあり、トイレを拝借しようとしたら、オバハンとオッサンの3人連れが上って来たので、トイレを借りるのガマンして少し話しをしました。
しかし、この十丈王子ルートでは、よぉ~人と出会いますねぇ。
今まで歩いて来た熊野古道・中辺路「本宮」から「近露」までのサミシさとはエライ違いだ。
上下する山道を歩き、ここで再び明るく開けており木の伐採をしてます。
さらに山道を行くと、薄暗い木立の中に朱色の建物の「大門王子」が有り、平安の昔の頃は、この付近の山中でエライ人も野宿したらしい。
今は、とてもじゃないけど陰気臭いし草木も茂り、野宿の場所には適さないように思い、少なくともσ(*_*)ならば別の場所を探す。
そこより少し降りると、広い溜め池が有り人家が近づいて来たよおです。
細い谷川に沿って下りると、小屋と鋭角になった三角屋根が見え、おぉぉ・・久々の人家じゃあぁ。!(^^)!
小屋は東屋の休息所で、トイレも有り雨も降っていたので少し休息し、隣の三角屋根には、人が住んでるのか垣根が有ります。
屋根しか見えまへんでしたが、鹿脅しのように、たまに空き缶でも叩くように「ガツゥ~ン」と音がします。
一休みして出発する時、その三角屋根の家を見ると、こざっぱりしたバンガロー風の家で、手入れもされているよおでした。
だれか居るかと思って声を掛けて小屋を覗くと、だれも居なく、真ん中に囲炉裏のようなモノがあり、部屋内もキレイに片づいており、入口にぶら下がっているノートを見ると「へんくつ会」と書いて有ります。
ワシも、その会に入れてもらって、ここでボケェッ~として住みたいなぁ・・夜遅く尺八吹いても、近所迷惑にならんやろおし・・・
その付近から更に人家が近づいて来た雰囲気になり、やがて舗装道路になった所の道端に石仏が置いてありました。
云われも書いてあるので読んでみると「庚申さんと大日さんのいわれ」と題し
「この石仏は夜に時々光り、何とかさんが18才の時にダイヤのような光を見て、現在75才で元気に過ごしている・・・。平成6年。」 という主旨が書いて有りました。
おぉぉ・・現在の奇跡やのおぅ・・・ワシも石仏が輝くダイヤのような光を見たいなぁ。
別に90才まで生きたいとは思わんが、是非そのような光景を冥土の土産に一度でも良いから見たいと思う。
後ろの青い紙に石仏の各名前と真言が書いてあり、 紙はまだ新しかったので地元の人が手入れしてるのでしょう。
舗装道路を歩いて行くと、やがてパアッ~~と視界が開け、遠くの山々も見渡せ・・・おぉぉ・・高い山に登ったんじゃなぁ・・と実感します。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
以下、広告です。
老後の趣味に憧れのピアノを始めてみませんか? |
<レンタルボックス>の種類・料金を見る
<レンタルボックス>を自宅周辺で探す |
中学英語を使える英語に! |