HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・中辺路 > 20 古流(三栖王子 万呂王子 秋津王子 高山寺)
H17.3.27 UP
「道無き道」の草が生い茂る場所を抜けると車道に出て、どこへ行けば良かんべぇと思ってると、対岸の山付近に公園へ行くような所があります。
今来た道は、車道が出来たので寸断されたようなので、その続きと思われる道へ行ってみると「三栖王子」の石碑が有りました。
「三栖王子」から麓へ降りた時、どうも自分の居る位置が地図とちがうなぁ・・と思いましたが、川を渡った所に農産物の集荷場が有ったので、そこの庇を借りて雨宿りと昼食にしました。
改めて地図と現状を見比べてみると、「三栖王子」の付近に寺が有り、付近を見渡すと・・おぉぉ、あれじゃな・・付近にナニをするホテルも有るが・・となると、地図に記載してある赤道は完全に間違っており、今の場所はここじゃ!!と確信しました。
そのうち集荷場の持ち主が来たので、「休ませてもらってます」と断りを言い、ついでに次の「万呂王子」への道も聞きました。
行ってみると、そこには「万呂王子」の案内板が一つポツンと有るだけで石碑も見当たりまへん。
集落を通り過ぎる時、行き違う人達がワシらの姿を「ジロッ」と見て・・・
なるべく関わり合いにならんように・・
目をそらして、合わさないように・・
と努めて平静さを保ってるのが感じられます。
なんせ四国遍路のカッコウしとるのが、二人してホッツキ歩いてるだから、ここら辺では見慣れなく珍しいんでしょうなぁ。
そやろおねぇ・・四国以外で、こんなカッコウして歩いてると、
仮装行列に参加して来たのか・・・
何か怪しい宗教やっとるのか・・
人さらい・・と思われるやろおねぇ。
小学校の横を通った時も、窓から女の子がジイッ~と見ていました。
このころになると、だいぶ地図の読み方に慣れ、「秋津王子」への曲がり角も、たぶんこれじゃと思って行くと正解でした。
「子供注意」という看板の下に「秋津王子」の碑が有り、王子の石碑自体は目立たなく、よっぽど注意しないと気付かず、下手したら「ゴミ置き場」と間違えるかもしれず、実際、そう思っちまった。
田辺市内の「高山寺」へは地図を見て、だいたいの勘で行けました。
途中の車道を歩いてる時や、信号待ちの車からは必ず車の人からジロジロッと見られたけど・・・・。
「高山寺」は雨が降っているためか、だれも参拝客がおらず、境内は広くて堂も沢山有り、ベンチが有ったので雨宿りを兼ねて一休みしました。
この高山寺には合気道創始者の植芝氏の墓が在るよおですが、雨が降っていたのと、墓を見てもしょうがないと思って行きまへんでした。
実は、合気道ではありまへんが、昔「八光流」系統の古流柔術をやってた事があり、そのさらに以前には「夢想神伝流」という居合もやってました。
どっちも、転勤のため数年間しか習わず、今となってはだいぶ忘れっちまいましたが・・
居合をやっていた時には、わからずに教えられるまま「そんなもんか」と思ってやってたのですが、次にやった古流柔術で相手に技を掛ける時や、体の動き方等に、居合の刀の握り具合や、刀の操法と共通性があるのがわかったのです。
例えば八光流独特の「雅勲(がくん)」という技が有りましてなぁ・・・これなんか刀の握り方と、ある意味共通性を感じました。
また、「合気上げ」という基本技を新人に教えた時、どうしても初心者は掴まれた手を「力」で上げようとするんです。
この基本技は、確かにヒジョウに難しくて「気で上げる」という言葉を用いますが、その「気」という感じや意味が言葉では、よぉ~伝え教える事ができまへん。
たぶん古流柔術界では、今もって一発で理解させる言葉や単語は無いでしょう。
で、竹刀を持たせて「この竹刀を振り上げる気持ちで、腕を上げなさい」と、やらせてみると、さきほどの「力」ではなく「気」で上がるんですなぁ・・不思議な事に・・もっとも竹刀を取り去っちまうと、やっぱし「力」で上げちまったが・・。
「力」で上げてるか、「気」で上げてるかは、相手の手を持てばわかります。
はい、ここの意味・感じ方も言葉では、よぉ~表す事はできなく、どおしても実際に経験しないと・・・
他流の人からチョコット習った時に「回転投げ」という技が有り、居合いの抜刀する時からの体の動きや刀の操法を応用すれば、なるほどその技になるなぁ・・と思いました。
そおいう事からも、昔の古流柔術をやる人は、たぶん刀も振りまわしていたでしょうから、「気」という事は無意識に理解していたのかもしれまへん。
なお、道場ではワシが新人に教えたような竹刀での練習方法はやっていまへんが、他流の練習で木刀を使用しているのを見て、こおいう意味だろなぁ・・と思った事を、何も知らない新人を実験台にして、その結果を確認しただけです。
合気道という単語から、昔習った古流柔術の事を思い出して雨が止むのを待ってました。
雨は止みそおでもないので、本堂の軒下で尺八を一曲吹いてると、傘をさした寺の人が「何モンが来たんじゃ」と、チラッと見にきましたが、すぐに居なくなりました。
その日はここまでの予定であり、田辺駅へ向かって歩いてる時、女子中学生のグループと擦れ違い、向こうから「こんにちわ」と声を掛けて来ました。
おぉぉ・・四国では良く挨拶されたけど、和歌山へ来て始めて向こうから挨拶されたが、田辺市の教育もしっかりしとるのおぅ。(^O^)カンシン・・カンシン・・
挨拶を返して擦れ違ってから後の方で、女子中学生のグループ内同士で「お遍路さん?・・ゴニョ・ゴニョ・・・キャハハハハハ・・・」と笑う声が聞こえます。
うぅぅ・・・ワシらは笑われる存在か・・(T_T)
越後屋と、お互いに目を合わせて苦笑し・・・まぁ、しょうがあるめぇ、大人でも奇異の目で見るんだもん、無理ないわなぁ。(^O^)
熊野古道「中辺路」は、これにて完了です。
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恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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