2011.4.9旅行 2012.2.17掲載
「左畑」の辻に有る、大きな椿の木の側で一休みしてから、川沿いに少し上がると人家の脇道に「熊野古道・大辺路」の看板があり、チッコイ看板だから見逃さないでね。
つうのは、先を歩いてた越後屋がトットと人家の脇道へ入って行くので、「おぉいぃ~・・どこへ行くんじゃ、チッコでもするのか?、何も他人様の家の付近でする事もないのにぃ。」
「何言うてまんねん。 私にだって恥じらいつうもんが有りますがなぁ。そこに大辺路の看板が有るでしょう。」
言われて見れば、電柱脇に熊野古道「大辺路」の看板が有るじゃありまへんか・・オッチャン、あやうく見逃すところだった。(^O^)ナハハハ・・・すまん、越後屋・・犬じゃあるまいし電信柱にチッコするわけないわなぁ。
その脇道を行くと川に突き当たり、川沿いに有る人家の塀に沿って、先を歩いてた越後屋が戻ってきます。
「どおした」「川を渡るようだ。」
「へっ?・・」「川に木橋が有るのが見えた。」
言われて見れば、川に丸木橋のようなのが架かっており、ふと足下を見れば、ここにも看板が有って川へ降りるようになっています。
で・・橋を渡った後は、どこへ行けば良かんべぇ?・・まさか木橋の上流、すぐ目の前に架かってる現代的な橋へ行くのではないだろなぁ。
それならば、チッコしに行くのかと間違うような、ややこしい道でなく、アッサリとその現代的な橋を渡らせれば良いのにぃ・・と思ってたら、越後屋がサッサッと石ころだらけの河原を下流に歩いて行くので聞くと「橋を渡っていた時に、看板が有るのが見えてた。」
おぉぉ・・さすが近眼のσ(*_*)と違って、老眼だが遠くの物は、よぉ~見えるらしい。
しっかしぃ、この川は大雨が降って増水して木橋や看板が流されたら、どこへ行けば良いのかわからん場所になるだろなぁ。
河原を歩きながら、四国にも足摺付近の海岸に石ころだらけの所を行く、よぉ~似た場所があったなぁ・・と思い出した。
河原に有る看板の所より竹藪に入り、やがて山道になり、少し歩くと小川にぶち当たります。
水量は、それほど無く、小川に沿って遡上するようになってるらしく、ここも雨が降ると水量が増して難所になるじゃろおなぁ。
小川の上流から再び山道になり、切り通しの箇所に「二河坂峠」と看板に書いてありました。
山道を下って行くと、チッコイ池の側に石灯籠が置いてあり、ほほおぉぉ~・・ここら付近では、山の中にまで石灯籠を置く優雅な風習が有るのかぁ・・と思ってたら公園のような舗装道路に出ました。
地図を見ると、どうやら「与根河池」付近に出たようであるが、この先はどのように進めば?・・池の周囲を回るような遊歩道に「大辺路」の看板が有り、その遊歩道を歩くようです。
しかし国土地理院の地図に書いてある道を見ると、池は進行方向の左側に見えなければアカン。
そこらをウロついて公園の案内図でもないかと付近を探しましたが見当たらず、ここは「大辺路」の看板よりも地図の方を信用して舗装道路を歩きました(実は「大辺路」看板が正しかった)。
舗装道路の周囲は公園のようになっており、それなりの手入れはしてあるようで、日本家屋風のバンガローが幾つも建っております。
そのバンガローの玄関前には一軒毎に石灯籠が設置されており、石灯籠なんつうもんは庭を作る際の目印程度にポツンと置く物であり、付近全体的に見渡しても一軒毎に置く必要が無いんだがなぁ。
よっぽどここを作った人は、石灯籠に思い入れが有り、どおしてもこおしても、だれが何と言おうとも無理してでも置きたかったという執念のようなものが感じられる。
舗装道路の突き当たりが行き止まりになって、その前は水が干上がった池になってます。
あらら・・どおしましょ・・と思ってると池の端に「野鳥の里コース」の立て札と共に、その池の周囲をめぐる道が「大辺路」を示す看板が立っていました。
あちゃあぁぁ・・・やっぱり先程の看板を素直に信じて歩けば良かったのね。
ちなみに、この付近には「グリンピア南紀」が有るらしく、この池付近もその敷地になってるんでしょうか?
帰ってからネットで調べてみると、年金を溶かし込んだと悪評高い「グリンピア南紀」の再建に際して地元政治家「二階」と香港ペーパー会社が絡んで大問題になってたようで、うむうぅぅ・・何となく問題になってる雰囲気が有ったのは納得できるような気がする。
だって、いくら日本家屋風のバンガローだと言っても、常識的に言ってバンガローに一軒づつ石灯籠なんか置く必要があるじゃろうか?
費用の無駄使いその物としか思えず、こおいう考え方をするのは予算を使っちまえという公務員的思考で、民間企業では絶対にこのような無駄な事はしなく、ここを設計した人は、石屋とケッタクしてたんじゃないかと疑う。
「グリンピア南紀・創作物語」(注:実話ではありまへん)
「へっへっへっへっ・・・おでぇかんさまぁ、いつもお世話になっております。」
「おぉぉ・・越後屋、ウワサでは庶民の公的年金で、どおでも良い石灯籠を作って荒稼ぎをしていると言うではないか。」
「な・・何を、おっしゃいますやら、おでぇかんさま。 私は日本的風バンガローには必ず石灯籠が必要という美的感覚から、世のため人のため作っているのでごぜぇます。
それよりも、おでぇかんさまぁ・・・聞くところによりますと、庶民の年金で作った豪華旅館「グリンピア南紀」の賃貸後は、ペーパー会社の中国リゾート会社に跡地を無償で譲渡するとかで・・・できれば手前にも、お裾分けのほどを・・・ヒッヒッヒッ・・・これは、ほんの手みやげの菓子折でごぜえます。」
「フッフッフッ・・わかっておる。それにしても、この山吹色は、たまらんのおぅ。ワッハッハッハッ・・・」 おしまい
「グリンピア南紀」と言えば年金で作られた建物だったと思うが、σ(*_*)の年金もあの石灯籠の1個分に変わったのじゃろか。
この「グリンピア南紀」の問題は、ウヤムヤにされちまったようだ・・・ワシの年金返せぇ。
再び山道へ入って行くと、やっぱり切り通しが有り「市屋峠」の看板と地蔵さんがあり、地蔵さんの側には一升瓶が2本転がっており、わさわざここまで来て酒盛りしに来たのでしょうか?
麓の「市屋」集落に降りると公園が有り、キリンさんや、ラクダ・ゾウさんが温かく迎えてくれます。
「市屋」集落より太地駅へ向かって、今は使われていないと思われる旧道をテクテク・・・
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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