熊野古道・大辺路をテクテク道を歩いてると、正面の山に虫が喰ったような大きな岩肌が見え、おぉぉぉ・・・!!・・これが「虫喰岩」かぁ・・名前の通りに虫が岩を喰ったような感じだのおぅ。
地図には「高池の虫喰岩」と名所を示す記号が付いていたのですが、今までそんな名前は聞いた事も無かったので、どうせ大した事は無いだろお・・と全く期待していませんでした。
だけど、来て見ると「大したモン」ですなぁ、これは一見の価値が有り、天然記念物になるのもわかる。
地図に「名所記号」が付いてるのも納得、まだ来てない人は、一度来て話しの種にするのも良いと思う。
はりゃあぁぁ~!!・・と感心しつつ、「虫喰岩」の写真を撮っていると、岩の上部に障子戸が張ってあるらしく白く見えるのに気付きました。
おぉぉ・・スゲエェェ~!!、まさか、あそこに人が住んでたのではなく、きっとお堂になっており、そこで修行した人が居たんじゃろおなぁ。
どこから上ったら、あそこまで行けるんじゃろか?、グルッとそこらを見渡しても、道らしいものや梯子も見当たりまへん。
まさか崖の窪に手を突っ込みながら上がる・・んなワケ無いわなぁ・・オトロシイ。
「虫喰い岩」の写真を撮りながらウロウロしてると、離れた所で越後屋がジサマと話してます。
挨拶して「岩の上部に障子戸が有りますが、お堂が有ったのでっか?」と聞くと、「昔、観音様が奉って有ったが、今は下に降ろしてある」
「えっ?・・どこに、観音様が・・?」
「岩の下に小さい堂が有ったじゃろ、それじゃ。」
おぉぉ・・そお言えば、崖の端っこに真新しい犬小屋みたいなチッコイ堂が有り、大した事ないと思ってたが、あれが観音堂だったのね。
「あの障子戸の所へは、どこから上がったんですか?」
「岩の終わりの所に民家が有ったろう、そこの切り通しの所から上がる。
昔は女の人が障子を張り替えに上がったもんだが・・・岩に上がるよりも、岩から降りる方が持ちが悪いだろなぁ。」
ジサマと分かれて、もう一度「虫喰岩」の所へ戻り、岩下に有った真新しい堂の中を確認すると、小さい木仏?らしいのが10体ほど奉ってあります。
普通は、よほど大きい仏さんで無い限り1本の木で全体を作ると思いますが、ここの仏さんは地域の風習のためか、何かの云われのためか、手の部分を別に作るようです。
永年経過しているためか、手の部分が無くなってる気の毒な仏さんが多く、言っちゃあぁ悪いが、ちと不気味。
観音堂というから「観音さん」の像かと思ったが、朽ちていて、よぉ~わからん。
堂の扉に紙が1枚ぶら下がっており、さらっと読んでみると、詳しい「虫喰岩」の説明書きで、1グループ1枚を目当てに、この用紙を持って行って良いと書いてあったので、HPに掲載しようと思って貰って来ました(以下、茶色字が用紙内容)。
天然記念物 昭和10年12月文部大臣指定 所有者****(個人名なので伏せ)
へえぇぇぇ~・・この岩にも所有者が居たんだぁ。
まぁ、そおですわねぇ、国有地で無い限り所有者が居るでしょうねぇ。
強欲なガメツイ所有者ならば、見物料や駐車料金を取ってボロモウケを企むのだが、ここの所有者は、そんな事を考えてなく良い人のよおです。
「虫喰岩」の説明がチビットしてあるが・・省略
下から見ると障子が見える。そこは洞窟になっていて広さ1.5畳程度、観音様が祀ってある。
天保年間この地方の民・百姓が飢饉と病疫に苦しむ窮状を救うため一人の行者が観音像を刻み、五穀豊穣・無病息災の願をかけ万顧成就まで1枚歯の下駄で登り降りして念じたといふ由来がある。
。
おぉぉぉ・・一枚歯の下駄というと天狗さんが履いてるのと同じで、修験道の人が観音さんを刻んだのじゃろおか?
また穴のあいた石をお供えすれば耳の病に効くと言ふ伝説もある。
洞窟は1.5畳位の広さがあり観音様を祀るについて近郷近在の方々も寄進したらしく、その方々の芳名板の氏名・金額も昭和中期には判読できたが現在は読み辛い。
岩の大小の穴は、鳩やスズメ蜂の住処でもあるし、岩が覆い被さる下の方には雨がかからないので天然の倉庫として牛の餌等の置き場として使用していたが、近年観光が重視され、私の農業倉庫も町の意に賛同、平成12年に移転した。(ここの行は概略)
岩に自生しているセッコク・ササユリ・イワマツなど、近頃商売の為に採りに来る人が居るので困ってる。
太平洋戦争末期、B29の空襲から逃れるため米麦・フトンなど、この洞窟へ持ち上げ避難した。
写真撮影や観光の皆様方に、この岩はご覧のとおり予告なしに突然、石が落ちてきます。
不幸にして、その石に当たると怪我ではすみません。運が悪いと即死です。
そのような事も頭にいれ、充分注意して写真撮影や観光を楽しんでください。
要はあまり近寄らない事です。
尚、上の観音様の床が経年劣化で危なくなってきましたので平成22年1月9日に、此の場所へ降ろし菩提寺の和尚さんに読経をお願いして、こんにちに至っています。 今は上に何もないです。 唯、洞窟だけです。
ここへお出での方々へ 参考になりましたら1グループ1枚くらい、お持ち帰り頂いて結構です。
以上、一部省略等いたしましたが、御了承ください。
次いで、旧観音堂への登り口を確認すると、岩に上がるための足場の切り込みと思われる物が有り、たぶんここから上がったのじゃろなぁ。
ジサマが言ってたように、上がるのは良いが、降りる時の岩場は滑り落ちるような感じでオトロシイでしょうなぁ。
帰ってネットで「古座 虫喰岩」で検索すると、この観音堂へ上がった人が居るよおで「和歌山 南紀スポット グルメ情報」というブログに観音堂内部の写真が掲載されていました。
3年ほど前に登ったよおで、堂内に観音さんが祀っていた当時の写真があり、 現在は下へ降ろされた観音さんが壁際に並んでます。
説明用紙に書いてあるように1.5畳くらいの広さで、今となっては貴重な写真だと思うが、まあぁ・・危ないと思うので、上らない方が良いと思う。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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