熊野古道・大辺路を歩いてると「地蔵峠 駐車場」と書いた看板が有り、さらに親切にも近くに屋根付きの「地蔵峠」と書いた丸い看板があります。
地蔵峠の駐車場は、ここに車を置いて地蔵峠へ登る人のためだと思うが、峠まで行ったら、また引き返すのかな?
屋根付き看板の所から農道を通るようになっており、道の周囲には獣除けの網が張ってあります。
農道を行くと、前方にはガッシリした柵が行く手を遮り、よっぽど猪か何かの動物の被害が大きくて、入られたくないのじゃろなぁ。
それはそれとして、どうやってこの頑丈な柵を通るか・・・柵には鉄棒が渡してあり、先ずはそれを外して戸を開けて越後屋を脱出させ・・次いで鉄棒を元に戻して戸を閉め、農道側に残ったσ(*_*)は柵の上をよじ登って向こう側へ降りました。
男ならば柵をよじ登って何とかなるが、重い物は箸しか持ったことの無いような、か弱い女性とかオババ一人だと、この柵を上がれるんじゃろか。
周囲には電気柵が有り、スキマから入れるような様子は無いく、ビリッと来たらイヤだろおしぃ。
それとも女のいつも使う手である「泣くマネ」すりゃあぁ、戸が勝手に開くのかな?、妙齢のキレイなネーチャンの「泣くマネ」ならば、開くかもしれんが、オババの「泣きマネ」じゃなぁ・・たぶん開かんだろなぁ。
地蔵峠への山道は、何となく石畳の跡らしい箇所も有りました。
やがて車道に上がり少し行くと、「大辺路」の看板が有り、山側には石道標が立っており「右はやま(山)みち 左はさべ(佐部)みち」と彫ってあります。
その「さべみち(一番上の写真)」を上がって行くと、通って来た「虫喰い岩」から、乗り越えてきた「柵」の有る付近が一望でき、登り切った所が地蔵峠らしく、名前の通り、ちゃんと地蔵さんが有ります。
地蔵峠より下り坂を降りて行くと、やがてキレイな小川が有り、木の橋が架かってたり、道が崩れて居る所にはロープが張ってあります。
ネットで下調べした時に見つけた、熊野古道・大辺路のボランティア団体「熊野古道・大辺路刈り開き隊」の人達が作ってくれたんでしょう、ありがたいことです。
ロープが張ってある場所は、片側に川が流れて滑りやすそうな岩肌で、道が削られたらしく歩く箇所が細くなっており、ロープが張ってないと、川に滑り落ちるかもしれず、お陰様で小川に転がり落ちなくて済みました。
こおいう世に隠れたボランティア団体にこそ、行政機関が探し出して表彰状とか感謝状を出せばよいのにぃ。
あっ・・そんな賞状よりも、金一封とか酒一升の方が喜ぶかもしれず、σ(*_*)なら紙切れよりも、そっちの方を喜ぶ。
舗装道路が見え始めた付近から滝音が聞こえたので、音のする方へ川を降りてみると、今まで沿って歩いてた小川が滝になってます。
小さいながらも滝の淵も深くなっており、自然にマッチしていて、なかなか見応えのある形をしております。
ええですねぇ・・こおいう滝が庭にでも有れば良いじゃろなぁ、帰ってネットで調べてみると「イガミの滝」というらしい。
車道をテクテク下りて行くと「佐部」集落に、季節柄か葉が茂っていない枯木の大木のようなのが有り、「ふう~ぅん・・」と思いながら通り過ぎようとしたが・・
青い看板が目に入ったので、野次馬コンジョでわざわざ近寄って読んでみると「藤と無患子(むくろじ)」と説明書きがしてありました。
ふうむうぅ・・言われてみれば藤の枝だなぁ・・もおちっと枝を手入れすれば、見良いのだが・・で・・「無患子」って何?・・初めて聞いたでぇ。
帰ってネットで調べてみると、この藤と無患子にも、カワイソーな伝説が有りました。
大泰寺で掲載した平維盛さんが植えたらしく、この人は落人ながらもヒマなのか、あちこちで植林しているのですねぇ。
「植樹祭」のように、せっかく生えている山の木を、わざわざ大規模に切り倒して開発し、天皇・皇后両陛下に苗木を植えさせるという、アホらしく無駄な事をやってる云われの始まりなのじゃろか。(^O^)
まぁ・・平維盛さんは、わざわざ木を切り倒すというアホらしい事までは、しなかったと思うが・・
しかし、あの植樹祭は自然破壊と税金の無駄遣いじゃなぁ・・だれか言ってやってよ。
「佐部」集落の道沿いに流れる小川は澄み透ってキレイで、しばし、その川で泳ぐ小魚を眺めながらボオッ~・・と眺めてました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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