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周参見王子神社・歴史民俗資料館、熊野古道・大辺路を歩く  2011.4.15旅行    2012.3.27掲載

薩摩示現流と「周参見」の旅人/熊野古道・大辺路を歩く

 周参見海岸で車中泊し、近くのチッコイ食堂で夕食を食べました。稲積島・周参見海岸より、熊野古道・大辺路を歩く

 店のオバチャンが「どこから来た?」と言う話しから、店に居た少々アル中ではないかと思われるトッツアン(50才位)も話しに加わって来ます。

 ふとしたキッカケで、トッツアンが板前さんだとわかり、板前さんならば「包丁一本サラシに捲いて・・」と唄にも出てくるほど包丁を大切にすると聞いてます。

 だれの作の包丁か銘を知りたくて「さぞや名の有る包丁を、持っておられるんでしょうねぇ」と聞くと、そしたらトツツアンは、何を聞き間違えたのか

 「おぉぉ・・持っとるでぇ。 わし、居合やってたんじゃ、薩摩で・・・」

ん?・・・包丁の事を聞いたつもりだが、まぁええや・・

 「ほほおぉぉ・・薩摩と言えば示現流ですねぇ。実はσ(*_*)も昔、居合やっていて夢想神伝流なんですわ。
 伯耆流とか水鴎流は試合の時に見た事が有りますが、薩摩示現流は、まだ見た事ないんです。」
周参見駅、熊野古道・大辺路を歩く

 薩摩示現流を知っていると言ったためか、トッツアンはすっかり喜んじゃって「「えんぴ({燕飛}と書くらしい)」と言ってなぁ・・こお・・ピュピュッ・・と斬るのは、すごいぜえ・・」と刀を振るマネまでしてくれます。

 しかもアル中のためか、3回ほど同じ事を言いながら・・・(^O^)

 チッコイ食堂なので、あんまり永いをしては悪いと思い、挨拶して店を出ようとすると、トッツアンから握手を求められ、板前さんの手にしては、手の甲がカサカサしており、水仕事が多いので手が荒れたのかな?

 翌朝、周参見駅で出発準備をしていると、ここの待合室の水槽には、大きな「伊勢エビ」と「ウツボ」が一緒に居るんですねぇ。周参見駅・伊勢エビとウツボ、熊野古道・大辺路を歩く

 しかも、大きさが半端ではなく、せめて死ぬまでに一度は丸ごと食ってみたい5000円位しそうな「伊勢エビ」と、天麩羅にしたら食い応えがありそうな「ウツボ」が仲良く同居?というか、無理矢理入れられてます。

 「ウツボ」の方は見るからに悪役のイメージが有るので、か弱い「伊勢エビ」をイジメルのかと思って見ていましたが、どうやら逆らしく「伊勢エビ」が「ウツボ」の方へ寄って行くと「ウツボ」がイヤがってるように見えます。

 実際は「伊勢エビ」と「ウツボ」は仲良しなんでしょうか?だれか知ってたら教えてね。

萬福寺・周参見、熊野古道・大辺路を歩く     周参見王子神社・川沿い、熊野古道・大辺路を歩く     周参見王子神社、熊野古道・大辺路を歩く

 出発して「周参見」の街並みをテクテク歩いて、熊野古道・大辺路へ・・・

 萬福寺は写真だけ撮り、小学校付近には代官所跡の看板があり、ここまでは良かったんだが、この先がアカンかった。

 その付近から遠見橋を渡る事になっており、小学校の前でクイッと曲がろうとしたら、越後屋が「あそこに橋のようなのが見える」と言います。

 おぉ・・そうかと思って、そっちの方へ釣られて行くと「周参見王子神社」を通り過ぎた上流の「赤い橋」でした。周参見王子神社・スタンプ、熊野古道・大辺路を歩く

 σ(*_*)としては、どうしても予定していた遠見橋を渡って「周参見王子神社」へ行き、ぜひスタンプをペタンしたかったので、越後屋と別れて「赤い橋」で越後屋と合流する事にして遠見橋まで戻りました。

 時刻的には登校時間で、橋を渡る時に子供達が集団登校しながら挨拶してくれ、「周参見王子神社」前のT字路でも、ジサマが子供達の安全を守るために立ってます。

 神社での参拝は、朝が早いので近所迷惑になるかもしれんし、登校児童が聞きつけて学校に遅刻したりするとアカンので、尺八を吹いての参拝はヤンピして、お賽銭だけあげました。

 目的のスタンプは「歴史民族資料館(一番上の写真)」の玄関に置いてあり、ペタリンコ。周参見・川沿い、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 資料館は朝が早いのでスタンプ押すのに、開館時間まで待たねばアカンのかと思ってたが、外にスタンプ台が有って助かったぁ。

 この付近から集落を抜けるのが熊野古道・大辺路の道らしいが、先程の上流にある「赤い橋」の所で越後屋と待ち合わせていたので川沿いに歩きました。

 「赤い橋」付近にある、バス停の中で越後屋が待っており、σ(*_*)の顔を見るなり
 「ねぇ、聞いて聞いて・・(^O^)、あんたと別れてから町並を歩いてると、登校途中の小学2・3年生のような子供が、家の玄関前で中に居る友達を待ってたのよ。彫切大師堂、熊野古道・大辺路を歩く

 私の姿を見て「旅人ですか?」と聞いたので「そうだ」と答えると、家に居る友達に向かって「おおいぃぃぃ~旅人が居たぞおぉぉぉ、早く見に来い」と呼んだのが、おかしかったぁ。(^O^)」


 そか・・言われてみると「旅人」という単語は、今はあんまり聞かなく、忘れられちまったような単語だなぁ。

 そんな小さい子が「旅人」と言う単語を知っているのは、学校で教科書か何かで「旅人」に関する事を習ったのでしょうか。

周参見より、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文    周参見・徳本上人名号碑、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文    周参見・一休み、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 「松本」付近の蓮華畑が有る道端で一休みし、地図を見ると、この付近に大師堂が有る事になってます。

 「たぶん、この後ろ付近に大師堂が有るんだろおねぇ」と言ってたら、出発するとすぐに、ほんまに休んでいて見えなかった裏側に大師堂へ上がる階段が有り、階段が長そうなので行かなかったけど・・・。周参見より2、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 熊野古道・大辺路を歩いてるとタンボの側に家が有り、そこに桜の花が満開で咲いており、その風景を見ると、昔、琴と合奏した「山里の春」という曲を思い出します。

 邦楽にしては珍しくピアノも入ってる曲で、祭囃子の雰囲気を出しており、リハーサルの時はだいたい上手く合わせれました。

 しかし、本番直前の練習の時にエライ先生から横槍が入って、途中の曲想が変わる付近よりテンポが変更されちまいました。

 時間が無いので一度だけの練習をして、ぶっつけ本番に入りました。山里の春、熊野古道・大辺路を歩く

 σ(*_*)としては、急にこの時点で変更するよりも、今までの調子でやった方が、「間」の感覚が慣れていて良かったのになぁ・・と思いました。

 しかし、足軽・三下ふぜいの尺八吹きが、将軍様閣下・高級幕僚幹部に対して意見具申するわけにはイカンので、大先生方の言うがままに「はいはい・・」と・・

 で・・本番・・・問題の曲想の変わる所より・・・そこの一発目の出足が、やっぱり揃わず、ピアノが先に大幅に飛び出しちまい・・あちゃあぁ~・・(/_;)。

 どうなるか・・一瞬「ハッ!!」とした緊張感、戸惑いが伝わり・・琴・尺八・ピアノの三すくみ状態で、音を出しながらの探り合い・・・

 緊張しますなぁ・・だれに合わせれば良いのかと、お互いに疑心暗鬼・・どうする、トッツアン、たまりまへんなぁ・・(^O^)ナハハハハ・・。周参見より3、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 こおいう緊張感と疑心暗鬼の雰囲気は、普段ではなかなか味わえるもんでは無い貴重な次元です。

 これが練習の時だったら曲を止めて、やり直すのでしょうが、本番なので可能な限り曲を止めるわけにはいきまへん。

 こおいう場合は、琴に合わせるのが鉄則らしいので尺八の音を少し控えめにしたが、琴同士でも混乱・内輪もめしているようで、まだ主導権を取ってるようには聞こえない。

 4・5秒間、音の探り合いをしていた時、これじゃ全滅じゃ・・と思ったのか、尺八の先生が「我に続け・・」とばかりに、乱れているテンポの中を、強引に自分のテンポで強く吹き始めました。

 その旗印を見取った三下ふぜいのσ(*_*)も「殿に続いて、今こそ全員討ち死の覚悟を・・」とばかりに、それに合わせたので、目標が見つかった琴・ピアノ軍団も付いて来ました。

 なんとか上手くゴマかしましたが、この曲を初めて聞いた人には、少し乱れたかな・・程度に思ったかもしれんが、そんなに違和感を感じなかったのでは・・と思う。

 これはピアノの先生が悪いのではなく、充分に合わせる練習もせずに、本番直前にテンポを変更したのが悪く、ミッドウェイ海戦と同様に「直前の変更に次ぐ、変更・・」の混乱で失敗する要素は既に有ったと思う。

地主神社・仏坂上り口、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文    地主神社・スタンプ置き場、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文   地主神社・スタンプ、熊野古道・大辺路を歩く

 車がほとんど通らない車道をテクテク歩いてると、川にゴロンとした大きな岩が有り、その曲がり角が熊野古道・大辺路「仏坂」入口で、左手にスタンプ台と「地主神社」への案内が有りました。

地主神社・階段、熊野古道・大辺路を歩く     地主神社、熊野古道・大辺路を歩く     地主神社・注連縄、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 神社というからには、祠とか社殿があると思ったが、行ってみると石階段を上がった平場に石垣が有るだけです。

 説明看板には「岩とか山全体の自然が御神体とされている、日本古来の古い形を護っており珍しい」と書いてあります。

 そおいえば庵の坊さんが言ってた「自然の中で(尺八を)吹け」と言うのは、有る意味、こおいう事も含めて言ってたのかもしれない。

 石垣の上には小さい賽銭箱とコップが置いてあり、そこで初めて山を御神体としているのがわかりました。

 正面の杉枝に、何かゴミのような物が引っ掛かっているなぁ・・と思ったが、良く見ると注連縄の代わりのようです。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



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