2011.4.15旅行 2012.3.29掲載
熊野古道・大辺路「仏坂」入口からは、いつも通りの急坂で「ヒーコラ・・」言いながら上り、途中で石畳もありました。
「入谷不動尊」の付近からは、山をまっすぐに登るような階段・・と言うよりも、自然の「木の根」が階段状態になってる急坂の山道です。
この坂道を四国88箇所で例えると「まったて」と別名で呼ばれている神峯寺への上り坂なんぞは、まだカワユイ子供のような坂です。
それよりもキツクて長く、一直線に上がって行き、山道というより階段という方が当たっていると思う。
階段は歩幅が決まってしまうので、同じ傾斜であっても山道よりキツイですからなぁ。
この「仏坂」の坂道は、今まで熊野古道・大辺路を通って来た数々の坂と違って、自然の「木の根」が階段の役割をしている箇所が何カ所か有りました。
「木の根」も、あんまり踏みつけられると枯れちまうと聞いたんだが・・それがしが愚考するに、この「木の根」の階段が有る箇所は、昔から伝わる熊野古道では無いのような気がする。
たぶん荒れて道が、わからなくなったり、危険箇所が有ったりしたので、後世に位置を変えて道を造り直したのじゃないかな?。
もしも何百年も昔から残り続け、歩かれている道ならば、このような「木の根」は踏み固められて無くなっていると思うのだが・・・違ってたら、ごめんね。 なんせ、ドシロウトが考える事ですので、笑って許してちょんまげ。(^O^)
「仏坂」頂上付近から、なだらかなになり・・またよじ登り・・・
途中で「安宅」集落を望める箇所が有り、山道には椿の花が、ポトリ・・と2・3輪落ちてるのが季節を感じます。
やがて舗装した林道と合流し、横切って対面の階段を上がり、きっと、この林道が出来た時に熊野古道・大辺路が寸断されたのでしょう。
林道から入ると、すぐの所に「茶屋跡」の看板が有りましたが、それらしい所には杉が生えており面影はありまへん。
その後は、垂直に立っている杉林の中を、ゆるやかな下り道で、先程の「木の根」の急坂は、どこへ行ったやら・・・
杉林を降りると、やがて日置川が木々の間に見えて来ます。
麓の「安居の渡し場」に着き、先を歩いてた越後屋がボーゼンと対岸を見ており・・絵になりますなぁ・・(^O^)
今は川に水が有りますが、これから夏だと水位も下がって、頭に荷物をくくりつけて歩いて渡れるかもしれん。
河原に座って昼食にしていると、ウグイスが鳴いており、口笛で鳴き声をマネしたら、仲間と思ったのか、それとも自分の縄張りを荒らしに来たと思ったのか鳴き返します。
縄張り意識が強いる鳥だから、たぶん「ゴラア゛ァ~・・ここはオラの縄張りじゃあぁぁ・・、入って来るんじゃねぇ」と鳴いてるのだと思う。
「安居の渡し場」を出発して川沿いの道を、「藤野」へ向かって歩きましたが、この道は想像以上に荒れてます。
最初は川を眺めながら、ノホホンと歩いていたのですが、そのうち道が崩れかかってる箇所には、緑色のロープが張って有り、どちらかというと「仏坂」を越えるよりも、こちらの方がキツイかもしれない。
「藤野」集落に着き「口ケ谷バス停」でバス時刻を見ると、あと3分ほどでバスが来る事になっており、ぎりぎりセーフ。!(^^)!
良かったなぁ・・「口ケ谷バス停」に到着するのが、あと5分遅れてたら、目の前を通り過ぎるバスを泣き叫びながら見送るところだった。
実はバス時刻を調べてなかったので、もしも運が良ければバスに乗れるかもしない・・・それとも日頃の行いが悪いので、バスの連絡が悪かったら日置駅まで歩こうか・・と、歩きながらずうっ~ぅ・・と考えていたのです。
バスに乗りながら「口ケ谷バス停」から日置駅までの道程を眺めてましたが、この距離を日置駅まで歩かなくて良かった・・・と、つくづく思った。
日置駅でリュックを担いだアンチャンもバスから降りたので「古道を歩いたのか?」と聞いてみると「富田坂を越えてきた」と言い、けっこう熊野古道・大辺路を、歩いてる人が居るんですねぇ。
「熊野古道・中辺路は何度も歩いており、有田市の「王子」が有る近くに住んでる」と言ってたので、σ(*_*)らも通った所でした。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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