2011.4.17旅行 2012.4.3掲載
片側が開けている熊野古道・大辺路「富田坂」の林道を上り続け、振り返ると山々に囲まれた谷間に赤茶色になって伐採された箇所が見え、先程尺八を吹いて休んだ所です。
おぉぉぉ・・けっこう上がって来たなぁ。
林道を歩き続けてると、四度目の山道に入る標識が有ったので、汗をかく山道に入る前に、道端に座って一休み。(一番上の写真)
休みながら梅干しを食べ、この梅干しは「道の駅イノブータン」に行った時、1袋100円で売ってた物で、さすが梅干しの産地ですなぁ。
産地直売物で安く、疲れを癒すのには、酸っぱい物が良いと聞いているので買い求め、梅干しを食べて茶を飲むと、なんとも言えんほど後味がスッキリします。
四度目の山道は、以外にあっさりと、すくに林道と合流し、険しい山道と思って一休みしながら梅干しまで食べてコンジョ入れたのに・・・アラッ・・・(^O^)
熊野古道・大辺路「富田坂」を歩いてると、所々に下界を眺めれる場所があり、遠く山々が連なり、「安居辻松峠」の説明看板が有る所に来ました。
それによりますと「昭和18年の山火事で、ここに有った松が燃えちゃったらしく、現在は道端に横たわってる」と書いて有ります。
ふう~ん・・と思って行こうとしたら、越後屋が「どうせならば、その松に焦げ跡が有るから写真を撮ったら」と言い、気にも留めてなかったのですが、道端の隅っこに倒木の枯れた物が有り、見るとホンマに焦げ跡が有りました。
おぉぉぉ・・!!・・まさか、そんな由緒正しい焦げ跡が有る松が、今も残ってるとは思わなかった。
昭和18年からというと既に70年余りが過ぎ、後100年もすれば腐って無くなってしまうかもしれんが、その頃には松の破片が天然記念物になっとるかもしれん。
山道を歩いてると、初めて向こう側から大辺路・富田坂を一人で歩いて来るオバチャンと出会いました。
ストックを2本使って歩いており、軽く挨拶しながら分かれましたが、この先でループ迷子にならなければ良いが・・・
大辺路「富田坂・茶屋跡」で一休み。
切り倒した丸木が横たわっており、座るのにちょうど良く、欲を言えば日当たりが良かったら、もっと良いのだが・・・オトッツアン、それは言わない約束でしょ。(^O^)
杉葉の間には、石で造った何かの破片が落ちており、茶屋の跡が偲ばれます。
この先からは時々、富田や白浜方面が望めます。
杉林を下っていると一人のアンチャンと出会い、これまた軽く挨拶しただけで分かれましたが、やっぱり熊野古道・大辺路は「富田」方面から来る人が多いのですねぇ、二人とも帰りは「日置駅」までバスで行くのかな?
えらい急な坂道があるなぁ・・と思って下りると、麓に熊野古道・大辺路「七曲がり」という看板が出ており、できれば「那智」側から来る人のための看板も欲しい。
知らずに下りるよりも、それなりの気持ちで坂を下りれるので・・・
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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